「社員を壊す」経営者
毎週月曜日の朝にUPしている
この稚拙なコラム・・・
2018年4月23日が初稿だったので
なんとか7年目に突入となりました
(今週の「これ」は320本目)
「継続は力なり」と
子供の頃から耳にしてきましたが
どんな「力」が付いたのやら
甚だ怪しいところではあります
*経営者のこと
*企業ルールのこと
*マネジメントのこと
*消費者やスタッフ心理のこと
*スポーツのこと
*映画や本のこと
*友人や家族のこと
・・・雑多に書き連ねてきました
当初の
『書かねば』という義務感が
いつしか
『なに書こうかなぁ』・・程度に
肩の力が抜けたことと
「何か書く」という視点で
日々を過ごすことの大切さ
みたいなモノは多少良かったのかと
(おいおい・・・その程度かいw)
句読点の排除
そんなコラム作成において
当初より意識していることのヒトツに
「句読点を使わない」・・・がある
何でそうしたかは
2つの理由でして
(いつしか「そうすること」が
癖になってしまいましたが)
①スマホで読んでくださる際
センテンスが短くて(早めの改行)
句読点のない(句読点が邪魔)
すっきりした文章構成こそが
スクロールしやすくて
読みやすいから(という持論)
②レベルの低い筆者が
偉そうな物言いになってしまった際
句読点のない文章により
カジュアルに受け取ってもらえたら
許されるかな(という言い訳)
SNS全盛
そういった感覚とは
全くの別次元で・・・
昨今はなんと・・・
「。」を付けることが
SNS全盛の若い世代に
「圧」を与えているとか?
文末にマルが付いていると
*冷たさ
*よそよそしさ
*怖さ・・・
といったモノを感じるのだそーだ
そう「マル」による「ハラスメント」
=『マルハラ』
同世代諸氏に問いたい
チャットワークも含めたSNS等で
「はい。」と返していませんか?
(返したことはありますよね)
どうやらその文末のマルによって
話を打ち切るような
匂いが漂うらしいのです
(知るかっ・・そんなこと)
( “国語” は何処へ行ったぁw)
ならばと
文末に絵文字を付ければ
『おじさん構文』・・なんだそーだ!
(筆者得意の「!」マークもNGらしい)
「行間」や「間」
話し言葉の最後に
「マル」とは口にしないじゃないですかぁ!?
(と真顔で言われても・・)
故に
あえて文末に「。」を付けられちゃうと
*「真面目アピール」
もしくは かしこまった文脈と化し
*「冷たさ」や「恐怖感」
を感じさせ
更にはそのニュアンスを
*「汲み取れ」
・・・に繋がるんだって!?
句読点はいつから
『脅しのメッセージ』に
なってしまったのかなぁ!?
(と自問自答しつつ・・・)
世の中の流れは「わかった」
としても・・・
けれども・・・
ビジネスメールや手紙
会話によるコミュニケーションにおいて
句読点という「間」や「行間」が
明らかに確実に存在していることを
そしてそれこそが
とっても大切だと言うことを
小さな声で伝えさせてもらい
・・・結びますね。(マル)
#320