「社員を壊す」経営者
本音を話せる友人や家人に
「この世に長居はしたくない」
・・的な話をする
それは決して
いい加減な気持ちではなく
かなりの本心と言える
父が没した年齢を超え
母の後始末や
実家の処分もヒト段落
孫の顔も見れたし
・・・といった表層はともかく
因業でエゴで傲慢で
年々怒りの沸点は低くなり
見た目も瞬発力も
衰えていく自身を
どこまで
受け入れていけるのか・・
許せるのか・・・
生産性がいずれなくなる存在に対し
どーにもこーにも
その納まりを見失いかける
だからといって
「命を粗末にする」とか
「今をいい加減に捉えている」
とかではない
そう思える自分に
「折り合いが付けられない」
・・といった
フワッとしてて言語化しづらい感覚
・・てなことを発すると
友人や家人からは
『説教染みた』攻撃を喰らうw
(そりゃそうだ・・ありがたい)
死生観
昨年看取った
母に対する自身の感情が
あまりにも薄情で
酷くてありえなくて・・
終わり方に関しては
そのしっぺ返しを
必ずや受けなければ
ならないのだろうと
漠然と思ったりもしている
大丈夫!
思い切った
行動に出る意思も勇気も
勿論持ち合わせて居ない
なぜなら
抱いている死生観は
全くもって「そこ」ではないのだから
(・・・伝わらないかな)
終活
TVを付ければ
国を動かす人達が老害を振りまき
大きな企業の不祥事も
考え方や風土・文化に
その匂いを感じる
潔く世代交代を済ませる
小規模事業所の経営者に
たまに出会うが
その整理の仕方と覚悟に
本当の『終活』を痛烈に感じる!
(その日を迎えるまでの
姿勢やプロセスが秀逸なわけだ・・)
『終活』の反対語って何だと思いますか?
『生活』・・との説もあります
~そう「生きるための活動!」
生きるための活動で
増えてしまった物心両面の
*磨き忘れたモノ
*錆び付いたモノ
*使いもしないモノ
*こだわってきたモノ
*信じてきたモノ
*粗末に扱ってきたモノ
・・・そう沢山の雑多なモノたち
「心と頭」の足腰が丈夫なうちに
確実に減らして整理しておくという
最低限のマナーは
自身の死生観とセットにせねばと
思ってやまない
老害
自身が口にする
『老害』という言葉は
卑下したい訳でもなく・・
「そんなことないですよ」
みたいな声を望んでるのでもなく・・
重ねて
「ピンピンコロリ」
といった都合のいいことを
間違っても欲してるのでもなく・・
さらに
世の中に目を向ければ
戦争だ地震だ○○だ・・・
そんな中
「なにが死生観だよw」と
非難されることも重々承知
尊厳
何故いま
こんなことを書いたのかは
上手く言えないが・・
「みんなそーだから」
「それが普通・・」に埋もれぬよう
今現在の自身へのメッセージと
備忘録なのかもしれない
経済学者:成田悠輔氏の
「集団自決発言」じゃないが
賛否はともかく
意識と自覚は
少なくとも持ち合わせていたいかな
それでもきっと最後は
弱くてみっともない人間性がにじみ出て
必死にしがみ付くコトが
透けてみえることも認めておこう
尊厳・・・
安楽・・・
今年も桜は咲き誇った!
#317