「社員を壊す」経営者
仏壇の父の写真は
今の私と同じ年齢(のはず)
50代後半に大きな手術をし
結局60歳と二週間でこの世を去った
そんな父の年齢に近づくにつれ
(さぞや)やりたいことや
楽しみたいことがあっただろうと
今更ながらに “父を想う”
一方・・・母は
施設と病院を転々とし
施設長が医師である終の棲家へ
来週・・・転院
「頼むからもういい加減に
ゆっくりしちゃいなよ」と
“薄情な想い” で母を見るわたし
父と母に対する二極な感情に
折り合いのつけ方もわからず
無責任に流されている自分が
本当に厄介で嫌になる
宅配便
若かった頃
実家からいろんなものが届いた
今となれば中身以上に詰まった
親からの「想い」を
十二分に汲み取れるのだが
あの頃は
「こんなに食えねぇよ」・・
「こっちにだって売ってるよ」・・
「連絡するのめんどくせぇなぁ」・・
そして今
倅たち家族に
頼まれてもいないのに
孫の洋服や食材を送ってしまう
そして
「そういうの大丈夫だから」的な
やんわり&迷惑レスポンスが
きっと “こんな会話” したんだろうな
と言った彼らの空気をまとって
・・・返ってくる!!
数十年前に天に向かって吐いたツバが
今頃になって
己の顔に落ちてきていることで
心に宿った一瞬のイラつきを
どうにか鎮火させている
・・・という構図だ
巡り巡って
それと同様に
母に対する “薄情な想い” も
これまた巡り巡って
同じように思われる日が
来るかと思うと
・・・ゾッとする
終の棲家への
入所前説明を聞きに家人と足を運ぶ
施設長である医師から
「医療上の対応について」丁寧だけれども
淡々とした説明を受ける
そのあと
生活指導員の女性スタッフさんから
事前準備等々の必要説明を
微笑み+事務的に受ける
提出する書類も数枚あり(その中には・・)
□「延命治療を希望しない」
□「救急搬送はせず【こちら】にて
可能な範囲での医療と看取り介護を受けたい」
・・・といった項目にレ点を入れる
“役割を果たしてます” といった
息子風情と物知り顔で署名押印
『宜しくお願いします』と
頭を下げて失礼するまで
1時間弱の判で押したような “儀式”
この十数年
似たような場面を何度も繰り返すたびに
いつだって辿り着くのは “薄情な自分”
フェードアウト
「父のような短命」と
「母のような長寿」の二択なら
どちらを選ぶのかは
若い頃から揺るがない
とは言うモノの
そこにあるのは『寿命』
街や世間や未来を見渡すと
『寿命』を含めたフェードアウトって
本当に重要で難解で厄介な存在
あと450日弱で
父がが亡くなった “日” と重なる
薄情だけれど
役割だけはなんとか果たす
駄目な息子も演じながら・・・
出来るだけ長居をせぬよう過ごしたい
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