「社員を壊す」経営者
『視点』
→物を見るために向けた視線が注がれる点
『視野』
→視力の及ぶ範囲を指す
→大まかに言うと
目を動かさないで見える範囲のこと
『視座』
→物事を意識する時の立場
→物事を見る姿勢や態度
オアシスの老人
こんな寓話をご存じだろうか
オアシスという街に一人の老人が座っていた
隣町から来たA男が老人に尋ねた
「隣町に行くのだがどんな町かい?」
老人はこれに答えず
「今まで居た町はお前さんにとって
どんな町だったかい?」
A男はしかめっ面で
「たちの悪い人が多くて汚い町だったよ」
老人はこう返した
「お前さんがそう思っているなら
隣町も質の悪い人間が多くて汚い町さ」
しばらくすると
隣町から来たB男が老人に尋ねた
「隣町に行くのだがどんな街かい?」
老人はこれに答えず
「今まで居た町はお前さんにとって
どんな町だったかい?」
B男はにこやかに
「親切な人が多くて綺麗な町です」
老人はこう返した
「お前さんがそう思うのなら
隣町も親切な人の多い綺麗な町だよ」
視座次第
この寓話が教えてくれているのは
まさに『視座』のありようだ
同じ町に住んでいる
二人(A男とB男)なのに
*目に見えている現実も
*暮らしぶりや生活姿勢も
全くもってその『視座』次第だということ
そしてその根っこを変えない限り
環境を変えたところで
良き未来も善き環境も
訪れることは決してないということ
前向きさや感謝の気持ちが
ベースにあることの重要性を
『視座』を通して説いている訳だ
「最適解」へのベクトル
採用や育成と言った場面に
仕事がら出くわす
一人ひとりが主体性を持って
自立した組織を創出したいと
ほぼ100%の経営者は言う
スタッフ側も
管理されることなく
働きがいのある毎日を過ごしたい(はず)
そのために
仕組みやルールや諸規定
はたまた研修等を被せてはみるものの
上手くいかない現実の連続ではないだろうか
まずは
社内に居るA男系人材とB男系人材を
(こっそり)セグメントし
アプローチの仕方を
替えてみることもよろしいかと
ただ間違っても
A男系人材の『視座』にダメ出しはNG
なぜなら意識や姿勢は無数にあり
ひとつの「正解」がある訳ではないから
しかしながら各社において
「最適解」は存在することと
そこに向かうベクトルを
揃えて欲しい旨だけは
辛抱強く声にしていかなければ
・・・ならない
何を言ってもやらせても
コンプラやハラスメントに直結のご時世
「脱・昭和」を求められ
そのど真ん中で苦しんでいる同世代の諸氏へ
『視座』という切り口(武器)を捧げたい
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