「社員を壊す」経営者
1980年 39年前の古い話
スポーツ誌:Numberの創刊号に
「江夏の21球」を寄稿し
注目を集めたスポーツライター
山際淳司さん
その文体と
取り上げるテーマが好きで
かなりの書籍は目にしたと思う
スーパードライのCMに出たり
サンデースポーツのキャスターやったり
・・・
残念ながら1995年 46歳で急逝
ショックだったのを覚えている
スローカーブをもう一球
そんな山際さんの(本当の意味での)代表作が
『スローカーブをもう一球』
(1981年 日本ノンフィクション受賞)
この文庫の中には
8つの珠玉の短編が収められている
「江夏の21球」もその中の一つ
そして文庫タイトルの
『スローカーブをもう一球』も
7番目に収録
ストーリー紹介の前に
背景と決まり事を・・
* * * * *
■夏の甲子園は
各県をトーナメントで勝ち進んだ
優勝校が出場するのは周知の事実
しかし
■春の甲子園(センバツ)は
高野連が出場校を指名する
その最も基礎的な判断材料・・
3年生が抜けた新チームで
県の秋季大会を行い
決勝戦に残った2校が
(関東の場合は)秋季関東大会への
出場権を得る
そこでベスト4以上のチームの
指名が固いと言われている・・・
* * * * *
ストーリーに戻そう・・・
1980年・・
今でこそ
群馬も全国レベル(前橋育英や健大高崎)
当時は出場校も少なく
今ほど私立校が スカウトやらなにやら
しのぎを削っていない のどかな時代の話だ
先程説明の
3年生が抜けて2年生主体となった
辺りから話しは始まる
そしてその高校は
図抜けた強豪校でも
剛腕ピッチャーが居るわけでもない
地元じゃ誰もが知ってる
進学校(高崎高校)→通称:タカタカ
「タカタカ通ってる」=「頭脳明晰な男の子」
そこの一人の投手にフォーカス
その主人公『川端俊介』くんを軸に
県の秋季大会から関東大会の
決勝戦までを・・・
山際さんは
きめ細やかにその内面を描写し・・
スポ根や熱血ではない・・
それでいて
クールでドライではあるのに
芯の通ったあったかな高校球児を・・・
いや普通の「高校生」として
淡々と描き切っている
が故に
いろんなものが突き刺さり
いろんなことに気付かされ
この歳になって再読しても
本当に大切なモノ・・・
みたいなことが随所にちりばめられてて・・
タカタカは
翌年
春の甲子園(センバツ)に出場するのだが
この物語は 甲子園での話には触れず
1980年の「秋」にフォーカス
この物語のラストシーンは
「関東大会決勝戦」
後にプロに入る
印旛高校:月山との第4打席・・
キャッチャーが出した
「スローカーブ」のサインに頷き
いつものモーションに入ったところで
このノンフィクションは終わる
タカタカの川端
先週 地元の友人から
「タカタカの川端 亡くなっちゃったよ」って
知らせを受ける・・・
スローカーブ主人公:川端さん死去56歳
書かずにはいられなかった
だって
わずか数キロしか離れていない学校
同学年
何度も試合をした・・
何本もヒットを打った
凡打もあったと思う
塁上で話したことも
間違いなくあった(はず)
さぞや無念だったろう
早すぎだよ・・
今一度 スローカーブ投げてよ・・
1980年 群馬県予選~関東大会
便利な時代だ
ちょこっとググると
こんなものが手に入る
【1980年 秋の県大会】
県予選の決勝戦は
主人公:タカタカの川端と対戦
そして
「うち(吉井)」と「タカタカ」の2校が
水戸で開催の【秋季関東大会】出場
まさに
「スローカーブをもう一球」の
ど真ん中に居させてもらった‼
タカタカは決勝まで進み
センバツへ
我々は初戦敗退・・
5対1というスコアで
負けたことすら覚えていなかった
しかし今見ても
凄い15校(常連校)が出てるわ・・・w
思い出は
本当に美化される
都合よく昇華する(しちゃってる)
忘れてた様々なこと
39年前のちょうどこの季節
どんな歌を聴き
どんな映画を観て
どんな本を読んで
どんな娘を好きで・・・
そんなことまで
思い出させてくれた
『タカタカの川端』
ありがとね
お疲れさまでした
向こうでも「投げてねっ」
・・・・・スローカーブ
ご冥福をお祈りいたします