「社員を壊す」経営者
「人間の最大の悪は何であるか
それは『鈍感』である」と野村克也氏は言った
「失敗した時に大切なのは『鈍感力』だ」
とホリエモンは言った
鈍感
素直な心を持ち合わせている
しかしながら俯瞰してみることや
ゴールをイメージしての逆算思考に少々疎い人がいる
同じことを毎日のように指摘される
指摘する方は「何でわからないんだ」と同じ点を注意する
当の本人は同じ点を指摘されているとは感じていない
*「だってそれはA案件のことでしたよね」
*「いま仰ってるのはB案件だし」
肚に落ちていない
いや何を言われているのか分からず
その本質には到底たどり着けない
周りが「あいつ大丈夫かなぁ⁉」と
心身の心配をはじめても
これまたある種ケロッとしている
驚くべき「鈍感力」・・とりあえずよしとしよう
過剰(異常)
一方 過剰なまでにエキサイトしてしまう人がいる
職責上 それを言ってはダメですよ
という関係性でも「どーだ参ったか‼」的な指摘
確かに本人の為に言いずらいことや
教えてあげた方が良いことって
世の中にはたくさんある
指摘者は何の得にならなくても
そういったことを声にするって大切
そしてそれを 大人は意外とできていない
そういった観点からすると良い人ともいえる
でもしかし そう言った人のほとんどは
「そのヒト自身の物差し」による一方的な押し付け
『チャックが空いてますよっ』って教えてあげるのに
人前で大きな声で言ってはダメ
そっと耳元で・・・若しくはメモを渡す(とか)
自分がどう映っているのか全く分かっていない
【承認欲求】だけが強い人の履き違えたアピール法
(としか 私は感じ得ない)
「指摘」という方法で相手を支配したいのか
「圧力」で自分を優位に認めさせたいのか
「凄い」や「素敵」や「ありがとう」などと言うのは・・・
*乙(指摘される)側から沸き上がって感じ取るモノ
*甲(指摘する)側が押し付けるものではないと思う
似たような感情に出くわす → インスタだ
「これ見よがし」の写真を見るにつけ
ある種の “甲” だなっ・・・と
うんざりするのは私だけ(かな)!?
世話好き
鈍感と過剰の間に「世話好き」な人も見受けられる
助けたい気持ちや優しい気持ちが
モリモリあるのだが本当はそれだけではない
相手を自分に依存させ 自分があなたにとって
大切(重要)な人であることを実感し
実感させたいのだ
行き過ぎた物言いの裏側で
おせっかいにモノをあげたり 用意したり
ママと子どものような 狭い世界で成立する関係性
自分の感覚や常識が全て正しいと信じてやまない
居ますよね・・・職場や身近なコミュニティに
感情の拳
▪「いじめ」 それによる自殺
▪「DVや虐待」 それによる殺害
▪「あおり運転」 それによる事故や社会問題
目にしたくない事件や事故がメディアを飛び交う
そこに潜む甲と乙の関係性は何だか似通っている
その下地にある鈍感や過剰や世話好き・・・
といった歪んだ「喜怒哀楽」
その人だけが確立してしまうよく分からない正論
もはや “乙のため” などという思いは微塵もない
甲自身の満足という「感情の拳」
「鈍感」って大切
失敗や苦しい局面の脱出時には必要な素養
あるいは “場をなごます” のに必要なカンフル剤
しかしながら 誤解を恐れずに言うと・・・
物事や人間関係の一丁目一番地に
「鈍感さ」を甲に見せない(あるいは悟られない)
感覚と努力が今の時代には必要な気がする
本来 鈍感さは「素直さ」や「可愛げ」に繋がる
重要で必要なエッセンスであるとわかっていてもだ
よく分からない正論を振りかざす甲という輩から
身を護るには「鈍感さ」のコントロールが必要
十代でかけがえのない命を絶つ者を
ニュースで目にすると
何とかならないのかと心が痛む
嘆くべきは
そういった事象が全く減らないこと
それを生み出す仕組みや教育や社会に
そして大人達に問題の本質があるということ
この生きづらい世の中を憂う。。