日本の人事部の回答ランキングで10月も1位になりました。
新日本保険新聞に私のコラム
「新米社労士イノキュウの現場からの本音の報告」(第16回)が掲載されましたので、その記事をご案内申し上げます。
HP:新米社労士イノキュウの現場からの本音の報告
http://www.inokyuu1125.jp/17125723745747
追悼 BSサミット事業協同組合 理事長 磯部 君男様(2025年7月掲載原稿)
私が尊敬してやまない、そして、あこがれの存在でありました、
BSサミット事業協同組合 理事長 磯部 君男様(78歳)が2025年5月27日(火)に永眠されました。
永年にわたるご功績に心から敬意を表すると共に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
といっても、自動車業界の方で、磯部様を知らない方はおられないと思いますが、
一般の方は、磯部様の名前をはじめて聞くという方もおられると思いますので、
次の通りご案内申し上げます。
「磯部君男(いそべ きみお)氏は、日本の自動車車体整備業界において長年にわたり指導的な役割を果たされた人物であり、BSサミット事業協同組合の理事長として業界の発展に尽力され、2025年5月27日午前8時46分、病気療養中に永眠され、享年78歳でした。
経歴と業界への貢献
1983年、磯部氏はBSサミット事業協同組合の前身である「RSサミット21研究会」を発足させ、自動車車体整備業界の革新を目指しました。当時、損害保険会社による指定修理工場制度(DRP)が黎明期にあり、整備業界が制度設計や価格体系の不透明さに揺れていた中、磯部氏は「次の時代に必要な車体整備の姿は、自分たちの手で構築するべきだ」という信念のもと、業界の先を見据えた実践を開始しました。高度な修理技術、接客品質、作業工程の標準化など、単なる研究会を超えた「制度の先取り実装モデル」として、40年以上にわたり車体整備業界の未来像を具現化し続けました。
2009年にはBSサミット事業協同組合として正式に設立され、理事長として組合を牽引されました。磯部氏は、車体整備の枠組みを超え、「モビリティサービス業」への転換を目指し、多様化する移動手段に対応できる体制を整えることで、組合員の持続的な成長を図る考えを持っていました。
経営理念と人柄
磯部氏は、「良い仲間を増やすことは財産になる。全国に優秀な整備工場があることで、さまざまな地域で組合員同士の連携も実現できる。エリアによるばらつきをなくすためにも、全国700社が目標となる」と述べ、全国一律の整備ネットワークと品質の重要性を強調していました。
また、磯部氏は「選ばれる工場にならなければいけない」と話し、ユーザーから選ばれる工場となることが重要なポイントであると考えていました。そのため、整備技術や事業経営の高度化に取り組み、業界の発展に寄与しました。
磯部君男氏の業績と人柄は、多くの人々に影響を与え、日本の自動車車体整備業界において大きな足跡を残しました。」
私が最初に磯部様にお会いしたのは、
私が日本火災の営業推進部・整備SS推進課長に着任した1997年4月でした。
そして、それから3年間、磯部様のご指導のもと、日本火災(現損保ジャパン)の重要施策として、「優良修理工場事故車斡旋制度」を立ち上げ、何とか軌道にのせることができたのです。
その後、2000年4月に松本支店副支店長に着任してからは、年賀状のご挨拶程度のお付き合いでしたが、わたしは時々、「磯部さん、どうされておられるかなあ?」と思うことがありましたが、「自分が磯部さんに連絡をして、現在の担当に迷惑をかけてはいけない。」と考え、連絡を取りたいという気持ちを抑えておりました。
しかし、それから約四半世紀、23年が経過した2023年の夏、ひじょうに暑い日でしたが、いつものようにウォーキングをしている最中に、ふっと磯部さんの顔が脳裏に浮かんだのです。私はスマホの画面に目を落とすとそこに「磯部 君男」の名前と携帯電話番号がありましたので、思わず、その電話番号をクリックしていたのです。(以下、次号)



