責任転嫁は無限ループの罠

田中義治

田中義治

テーマ:何か得するコラム

皆さんこんにちは。

昨日、調べごとをしている時に、たまたまキーワードでヒットしたどこかの会社の代表者のブログ?を読んでいたところ、
「1年間で17万円使ったのに損をした」「全く広告効果がなかった」「○○会社のせい」「担当者○○のせい」
のようなことが長々と書かれていて、何とも言えない哀れな気持ちになりました。

これはその時の、全く部外者である私の心の声ですが、、、
「納得して契約したのは貴方で、少なからず契約した貴方にも責任があり、それが大人の世界です。ましてや企業間の契約でしょ?ちゃんと事前にリサーチしましたか?自己の責任はどこに行ってしまいました?もし私が大株主ならトップ変更しますよ?」
と思ってしまいました。

心が何かに囚われる

「誰々のせい」「アレのせい」「コレのせい」
人は何かのせいにすることで、時として自分の責任を別のものに転嫁し、自己を正当化して守ろうとしますよね?

ですがこれを続けていると、心と人生の道が広がらないものです。

せっかく目の前に広い道があるにも関わらず、わざわざ細く険しい獣道を選んだり、来た道をいそいそと引き返すのは、とても勿体ないことのように思います。
分かれ道
特に若い方は無限の可能性を秘めているので、少しでも早くこのことに気づいて欲しいと心から願っています。

人間生きていたら腹が立つこともありますが、一度立ち止まり、目を閉じて、大きくゆっくり深呼吸を5~10回して一旦冷静になり、事の責任を切り分け、自分の責任の分をキチンと自認すれば、次にそうならないための対策を考えたりも出来ますし、そうすることでまた別の視野から他の道も見えるものです。

いま偉そうにこんなことを書いている私も、「誰々のせい」「アレのせい」「コレのせい」と口に出しては言わないまでも、一杯いっぱい心で思っている時期がありました。

でもそんなことを思っていたとしても、その場で立ち止まっているだけで視野が広がるわけでもなく、物事の本質も見えなくなってしまいます。

まるで心が何かに囚われているような感覚だけが残ったのです。

肯定的に受け止め認める

そんなとき救ってくれたもののひとつが「論語」でした。

「過ちて改めざるを、これ過ちという」
人はだれでも過ちを犯すが、過ちを犯したことに気づきながらもそれを改めようとしない、これこそが本当の過ちである。

自分が悪かったことは「悪かった」と、先ずは肯定的に受け止め、そして認めないとそれより先には進めません。
しかももっと悪いことに、これから先も同じようなシチュエーションで堂々巡りをしてしまいます。
つまり何も成長していない、という証拠になってしまいます。

そして不思議なことに、同じようなことが半年先とか1年先に必ず起こります。
まるで問題が解けないダメな生徒に対し、同じ問題を出し続ける息が長い教師が居るかのように…。
私的には、どっかの神様があなたなら必ず解けるからと、何度も同じような課題や問題を出しているように思えた時期がありました。
私の同じ問題は3年で3回あり、毎年同じ問題を気長に出し続けてきたのです。
そして、1回目はスルー、2回目は「まさか!?と思いつつスルー」
3回目で向き合ってクリアしました。(笑)

論語では、他にもこうも言っています。

止まりさえしなければ、どんなにゆっくりでも進めばよい。

今は許せないことも、ゆっくり心を鎮めて冷静になり、本当に自分には非が無かったのか?もしあったならそれを一旦自らが認め、そしてまた明日からでも歩みを続ければいいのです。

誰かが何かで得をし、自分が損をしてそのことが許せない!と思っているときでも、こういう考え方もあります。

「君子は道を謀りて、食を謀らず」
偉大な人間は道を選ぶとき、目先の利益などには目もくれないものである。

この考え方は、変な詐欺から回避するときにも有効な考えのひとつです。

「例えば投資話で、10%の利益が出るからやらないか?」などと身近な人から声が掛かったとしたら、10%はとても魅力的に思えることでしょう。

ですが、一般的な投資商品で10%という商品は、ほぼありません。
一般的なもので、5%くらいがいいところです。
なのに10%という話を持ちかけてくるのは、多くの場合は目先の利益で吊ろうとしているのです。
当然、その投資商品は怪しげなものということになり、出資したお金が戻って来ない確率が高くなります。
世の中には、ポンジスキームや仮想通貨詐欺などもありますからね。

器を育てよう

さてさて、もとは中国からやってきた論語ではありますが、その後は寺子屋で子供達が論語を学んでいました。
そして論語をベースに日本の一般庶民の器も大きくなっていきました。
これを「大器」といいますが、心のスケールが大きな人達が活躍し、他のアジア諸国よりも先駆けて日本が先進国の仲間入りを果たせたのも、ベースに論語があったからだと考えています。

確証はないですが、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛なども、少なからず影響を受けているのではないでしょうか?
私の知るところでは、渋沢栄一、松下幸之助、稲盛和夫など、名を残した多くの偉人達は、「論語」を自分の言葉で語っています。

一方、本家の中国はと言えば、論語は上流階級の人々が独占し、一般庶民には見せないようにしたことで、ベースとなる大切な思想、つまり一般庶民の中に倫理観や哲学など大器を育てることが叶ったのでしょうか?

今の日本と中国の倫理観の違いを考えれば、何となくでも納得出来そうな気がしませんか?

あ、そうそう、子供の頃に「人に迷惑をかけないように」ということを教えられますが、これは萎縮する考え方だと以前から思っていたところ、実は近代になって考え方がすり替えられているようです。

本来は、「人に迷惑を掛けられても、大きな心で許そう」というもので、大器を育てる考え方だったようです。
普通に人間が生きていたら、誰かに迷惑を掛けることもありますし、掛けられることも当然ながらあるものですからお互い様ですよね。

そんなときには「大きな心で許そう」という考え方が、その人の心を大きく育てるのかも知れませんね。

このようなコラムが、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。

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田中義治
専門家

田中義治(ITコンシェルジュ)

株式会社ハルシステムコンピューター

これまでの多種多様な経験を通じて、貴重な学びと豊富な実績を積み重ねてきました。クライアント様の課題には常に真摯に向き合い、解決の先にある成功の喜びを、共に分かち合えることを目指しています。

田中義治プロは四国放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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