封印した占い
皆さんこんにちは。
昨日の皆既月食をご覧になった方も、多かったのではないでしょうか?
しかも今回は、皆既月食中に惑星食という、天王星が月に隠れる現象もありました。
前回この「天王星食」が起こったのは、1580年以来ということで、なんと442年ぶりの現象です。
当時の日本は安土桃山時代で、あの有名な織田信長が活躍した時代だったそうです。
歴史ロマンを感じるとともに、昨今の世界情勢などから、得も言われぬ歴史の分岐点や転換点のようなものを感じていたのは、私だけでしょうか?
さて歴史繋がりということで、私的に驚くことがあったので少し書いてみます。
こんなところに平家?
2月に母が75歳で他界したのですが、その戸籍から自分のルーツに関する歴史の紐が大筋解けました。
はじめに驚いたのは「平氏(平家)」方であったことです。
平家といえば祖谷と思っていたので、まさか那賀町に平家が居たこと自体全く知りませんでしたが、これは湯浅安夫氏の郷土研究などがキッカケで知りました。
本家の親族にも問い合わせたところ、徳島市内に住む私達は全く知りませんでしたが、親族曰く、このあたりは平家だと話してくれました。
湯浅安夫氏の郷土研究によれば、
平氏が壇の浦で滅ぼされた頃、那賀奥津井口の地に、この地の豪族秋月三太夫を頼って平基秀の一族が、女・子供あわせて23名が逃げてきた。
項羽と劉邦、そして三国志
子供を授からなかった田中家では、親交のあった秋月家から養子を迎えることになりました。
それが私の祖父にあたり、名は石太郎といいます。
私は生まれた時から徳島市内だったため、離れた上那賀町(現:那賀町)には年に1、2回程度しか帰省していませんでしたが、優しかった祖父のことが大好きでした。
さて、この秋月というのは、元を辿れば「大蔵一族」の派生です。
また田中家では、偶然の一致なのか何かの名残なのか、祖父の父方の2人の名前には、「石蔵」「夏蔵」のように「蔵」という文字が入っていました。
いずれにせよ、この秋月を辿れば「劉阿知」に繋がり、次の歴史の扉が開きます。
「劉阿知」のことを書く前に、その背景と劉協のことを簡単に説明します。
既に三国志を知っている方はご存じだと思いますが、
劉協(189年9月27日 - 220年11月25日)とは、長安(当時の都)を占拠した董卓によって擁立され、後に曹操の庇護下に入った漢の皇帝です。
約400年間続いた漢王朝(B.C.202年~A.D.220年)も、その末期は弱体化し、第三者の実行支配・傀儡によりお飾りの皇帝となっていました。
・漢の献帝
三国志 Wiki
こちらは2010年の「三国志 Three Kingdoms」という中国のドラマですが、監修が渡邉義浩氏(三国志学会事務局長)で、面白かったので載せておきます。
これは余談になりますが、三国志との出会いは、光栄(現:コーエーテクモ)のシミュレーションゲーム「三国志」を、PC-8801でプレイしたことがキッカケでした。
その後、社会人となって少し落ち着いてきた頃、週末に何気なく立ち寄った佐古の古本屋で、横山光輝氏の三国志(全60巻)を大人買いし、時間を忘れて朝まで一気読みしたのですが、そのマンガの世界観と親和性を感じる内容で、楽しめたドラマ作品が「三国志 Three Kingdoms」でした。
・三国志 Three Kingdoms Wiki
劉邦、劉協、劉阿知
劉邦は、前漢の初代皇帝です。
劉邦が面白いのは、特別に秀でた軍事能力も政治力もなく、血筋も平凡で、財産もなかったのですが、不思議な人望を備えており、戦乱の時代に頭角をあらわして、一代で漢の皇帝にまで上り詰めた人物です。
「項羽と劉邦」という小説やドラマで登場する劉邦の末裔が、「三国志」の中で虐げられている皇帝、劉協(漢王朝最後の皇帝「献帝」)で、その玄孫(やしゃご)にあたるのが「劉阿知」です。
・項羽と劉邦(小説) Wiki
・劉邦
劉備
三国志に登場する劉備玄徳も、前漢の景帝の子「中山靖王・劉勝の末裔」というのが本当であれば、劉邦の系統となります。
なお劉勝には、子供50人、孫100人以上いたという説があります。
こぼれ話ですが、劉備が若い頃、公孫賛たちと「六韜三略(りくとうさんりゃく)」を学んでいたそうです。
私も過去に読んだことがありますが、「孫子の兵法」などと比べると、どちらかと言えば人心掌握の方に重きを置いている内容でした。
応神天皇から厚遇
「漢」から「三国時代」を経て、魏の曹操に仕えた司馬懿仲達の孫、司馬炎が「晋」を興しましたが、その「晋」が滅びるきっかけとなった「八王の乱」の直前(西暦289年5月1日)に、2000人余の一族を率いて海を渡り、日本に渡来したのが「劉阿知」です。
そして渡来後、紡績技術や文化を伝えたことで、「応神天皇」から厚遇され姓を授かっています。
また当時の姓というのは、独特で他に類を見ないユニークなものを選定したのだと考えられます。
日本に着いた劉阿知一族は漢民族の技術や文化を日本に伝え、当時の応神天皇も彼らを厚遇したと紹介。劉阿知の子である劉都賀は紡績技術を伝えて都賀王と称されたほか、子孫も次々と坂上、丹波、大蔵、内蔵といった姓を天皇から授かり、大蔵一族からはさらに原田、秋月、高橋、波多江、江上などの一族が派生したとしている。
その後
その後を追いかけてみたところ、大名の時代、当時の周防国(山口県)の、「大内家家臣」の名前に、大蔵、原田、秋月、高橋の名が揃ってありました。
秋月種家は、蒙古軍が九州の地に再来襲した、弘安の役で武功を挙げる活躍をしたそうで、山口県と九州地方に様々な話が散見されます。
色々な節目で、私自身とも縁がある九州地方。
実父は福岡の出で、私の妻は大分出身です。
こんなところにも、何か見えない力が働いているのかも知れません。
さてさて、中学の頃から大の三国志好きで、中でも劉備に惹かれていた身としては、何とも言えない歴史ロマンに感慨深いものを感じています。
振り返れば、日本史よりも世界史が好きだったのは、このあたりにも何らかの理由があるのかも知れません。
このようなコラムが、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。