なぜ今、あらためてAIなのか【経営者にとって「今さら聞けない」AIの話1】

静岡フィルハーモニー管弦楽団 第49回 定期演奏会
本番直前になると、それまで見過ごしてきた曖昧さが、急に気になり始める。
今回取り組んでいるのは、管弦楽のための協奏曲。
オーケストラのレパートリーの中でも、単なる技巧的難曲ではなく、「構造的に誤魔化しが効かない作品」として知られている。
しかも私は、第1ホルンを担当している。
この曲における第1ホルンは、単なるセクションの一員ではない。
和声の支点であり、音色の方向性を決定づける存在であり、時にソリストとして露出する。
言い換えれば、「個」としての完成度が、そのまま全体の質に転写されるポジションである。
■「難しい」の正体はどこにあるのか
一般的にこの作品は「難しい」と語られる。
しかし、実際に向き合ってみると、その本質は少し異なる。
難しいのではない。
誤魔化しが効かないのである。
例えば第3楽章のppの持続音。
ここでは音量の問題ではなく、
・音程の純度
・音色の密度
・周囲との和声的整合性
が同時に問われる。
しかもその和声は、いわゆる機能和声的な「落ち着き」を持たない。
したがって「耳でなんとなく合わせる」という逃げ道が成立しない。
つまり、演奏者の内部にある基準そのものが問われる。
■構造が見えると、人はビビる
リハーサルが進むにつれ、違和感が明確になっていった。
・入りの一瞬が曖昧になる
・音程が“合っているのに馴染まない”
・自分の音が全体の中でどう機能しているかが見えない
この段階で私は、あえてAIに問いを投げた。
「この曲におけるホルンの難しさとは何か」
返ってきたのは、極めて整理された構造的説明だった。
・全パートがソリスト的役割を持つ
・和声の中での基準音として機能する
・“合わせに行く”と遅れる
・音量ではなく密度でコントロールする
──いずれも、現場で起きている現象そのものである。
そして気づく。
曖昧だった不安が、構造として言語化された瞬間、逃げ場が消える。
人は、この瞬間にビビる。
■これは経営と同じ構造である
この感覚は、実は私の本業である経営コンサルティングと全く同じである。
企業においても、
・売上が伸びない
・組織が機能しない
・意思決定が鈍る
といった現象は、最初は「なんとなく」の違和感として現れる。
しかしそれを構造として整理すると、
・原因が特定され
・逃げ道が消え
・当事者はビビる
ここで重要なのは、ビビること自体ではない。
ビビるということは、構造が見えているということである。
■「できるかどうか」ではなく「どう在るか」
ベーラ・バルトークのこの作品が突きつけてくるのは、技巧ではない。
むしろ、
・音に対する姿勢
・自分の基準の持ち方
・全体の中での役割認識
といった、「在り方」の問題である。
これは経営においても同様である。
ノウハウやテクニック以前に、
・どの視点で意思決定をするのか
・どこに基準を置くのか
・自分が全体にどう作用しているかを認識しているか
が問われる。
■それでも、本番は来る
構造が見えたからといって、難しさが消えるわけではない。
むしろ、より明確になる。
しかし、本番は待ってくれない。
ここで必要なのは、
・完璧を目指すことではなく
・その瞬間において最も適切な判断をすること
である。
そしてもう一つ重要なのは、
「うまくやろうとしない」こと
である。
うまくやろうとするほど、音は硬直する。
むしろ、
その場の構造に対して、自分の音をどう機能させるか
に集中する必要がある。
■おわりに
本番前にビビるのは、自然な反応である。
むしろそれは、
曖昧さの中にいない証拠であり、
構造に向き合っている証拠でもある。
音楽も、経営も、本質的には同じである。
誤魔化しは効かない。
だからこそ、
最後に残るのは極めてシンプルな問いになる。
「今の自分は、この場に対して、適切に機能しているか」
その問いを持ったまま、本番に臨みたいと思う。



