見た目が9割??
富士市にて在宅医療に携わっているふじやま薬局の栗原です。
先日、芥川賞を取られた市川沙央さんの受賞作『ハンチバック』を手に取ってみました。
以前からなんとなく芥川賞を読む習慣が私にはあります。もともと文学が好きということもありますが、今の時代、文学として何が受け入れられたり、なにかしら時代的な要請が生み出したような作品に接することに刺激を感じてきたからだと思います。
また私の患者様の中には、何かしら障碍を持たれている方も少なくありません。障害を持たれている方が、一般的な健常者の方と物事の受け止め方や感じ方が違っていたりしたら、それを理解するための努力は医療者としてやはり必要だと思っていることも、この作品を手に取った理由の一つです。
そして実際、読んでみて、やっぱりこれを読んで良かったと思わされました。
主人公は、おそらくはこの作者と等身大の登場人物なのだと思います(少なくとも私の知る限り、主人公の設定と著者の相違は見受けられませんでした)。障害を背負った方の文学として、私の記憶を辿る限りあまり思い当たる著者がいません。そういうところからも、何か文学というものが、身体的に健全であることが前提になってしまっているようなところも、もしかしたらあるのかもしれないと思いました。文学は、精神的な負担の大きい作業であり、それを支えるのは健全な身体だからこそできるものだ、というわけです。
この作品の帯には「私の身体は、生きるために壊れてきた」という主人公の言葉が引用さえています。本を手に取り読書をすることでさえがS字に湾曲した背骨には負担である・・。よくよく考えればそうなのだろうな、と思えるような障碍者の日常も、実際そうなのだと思わされる瞬間が与えられなければなかなか現実のものとは受け止められないものなのだなと思わされました。
物語は私小説であるかのようにリアルな描写がされています。長い間文学の世界で、ご自身の命と尊厳とをかけてこられた苦労があってこそのこの描写力なのだと思います。
振り返れば、たとえ障碍を持たれている患者様と接する機会があっても、それほど私的な会話をすることはなかったなと思わされます。なにか自分が知り得ない感じ方や受け止め方をされるかもしれないという怖れが自分の中にあったのかもしれない・・。市川さんの今回の作品は、自分を振り返って、物事の受け止め方や考え方を見直すきっかけになったと思います。他者を理解するための想像力が与えられるにも、他者の視点と向かい合うことが必要なのだと。