被害者は証拠のひとつ!?犯罪被害者に対する考え方
2011年3月11日14時46分、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生しました。
埼玉県北部を中心に、広範囲で被災状況などを調査しましたので、気づいたことをまとめます。
■保全措置は自宅だけではなく類焼も防ぐ
近隣や知人宅では、ライフラインの確認や復旧を急いで行っていました。気が動転した中での作業は、思わぬ事故に繋がるので、焦らず家屋の破損個所を確認してから、確認や復旧作業を行います。
大きな地震が発生した場合、まず何をすべきでしょうか。1995年(平成7年)の「阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)」を契機に火の始末から身を守ることへ変移しました。背景には、建物倒壊や家具の転倒による圧死が大半を占めたことと、マイコンメーターの普及に伴い、火災の原因であるガスの供給を自動で停止できることがあります。しかし、東日本大震災では、電気ストーブを代表に電化製品からの出火が相次ぎました。原因は、地震による停電が復旧したときに、揺れで落下した本や衣類などに引火、転倒した家具などが配線コードを圧迫してショートしたなどが挙げられています。
地震による火災は、揺れの直後とは限りません。片付けが終わるまでや避難など自宅を離れる場合は、保全措置を行うことが大切です。また、復旧した後も暫くは、異音や匂いなどに注意を払います。
保全措置:余震による二次災害を回避する措置
・電気のOFF(ブレーカーで行います)
・ガスの閉栓(プロパンガスではボンベで閉栓します)
・水道の閉栓(水道メーターで閉栓します)
※避難など自宅を離れる場合は、必ず行いましょう。
■帰宅困難と徒歩による移動の危険
震災当日の深夜、東京方面から北へ歩く人の姿を多く見ました。グループを形成して歩く人、グループではないが追随して歩く人、ひとりで歩く人と様々でした。
大きな地震の後、交通網は一時ストップします。また、余震の発生など、復旧には相当の時間を要しますので、慌てず、その場に留まることが安全です。人が集中する東京都では、各職場へ水や食料の備蓄を呼びかけ、一時滞在施設を準備していますので、ホームページなどでご確認ください。また、隣接する他県の被害状況が判らない状態での移動は、二次災害の可能性も十分に考慮しなければなりません。
徒歩による移動は、困難と危険が伴います。電車や車を使った10分の移動は、徒歩では1時間以上掛かる場合もあり、脚力が必要です。また、日常と違って道路や橋などの崩壊や休憩場所の確保が困難になり、距離だけではなく時間との戦いにもなります。夜間の移動は、災害に乗じた犯罪にも注意が必要です。
■屋根瓦の危険と地盤沈下や液状化現象
埼玉県北部では、利根川に沿った市町村で屋根瓦の損壊や落下の被害が多く見られました。また、栗原町(現久喜市)では、一部で液状化現象が起こり、大半の家屋が全壊認定を受けました。
大きな地震の際は、建物から慌てて飛び出すと、思わぬ落下物により大怪我を負う可能性があります。屋根瓦も例外ではなく、木造建築の場合は耐震補強や屋根の葺き替えが最も有効な対策です。また、震災が広範囲に渡った場合、瓦と職人の数が不足し、復旧に相当の日数が必要になります。この震災では1年以上を要しました。
利根川の縁沿いでは、道路や家屋での地盤沈下や陥没が見られ、過去の洪水や盛土などの影響と考えられます。また、栗橋町の液状化現象は、当初「水田跡」と報じられましたが、古地図から沼であったことが判明しました。
津波により未曾有の被害を被った東北地方では、復興、防災対策のヒントとして、古い資料が役立っています。東日本大震災は、遺跡、旧跡の類は勿論、古文書や文献に至るまで、見直すきっかけになった災害でもあります。
東日本大震災は、私たちに多くのことを学ばせ、課題を与えた未曾有の災害です。発生から4年の月日が経過しましたが、復興はまだまだ歩み出した程度です。また、福島第一原発では、永い廃炉作業がこれからも続きます。
日本列島は、地震、火山噴火、土砂災害、風水害など災害の宝庫です。過去の災害を見直し、今できる備えを行うことが、安全・安心への第一歩です。
※当時の取材メモを見直しながら記しました。