調停の待合室から~電話調停
調停の待合室から~時間をかけることの意味
家事調停を一言で説明するとき、「家庭裁判所で場所をかりた顔をあわさない話し合い」、「調停委員が間に入り、交互に30分ずつ話を聴いて、話し合いの仲立ちをしてもらう」と伝えています。
毎月1回のペースで、平日2時間程度時間をとられますが、話を聴いてもらうのは毎回30分ずつ2回程度です。
「時間ばかりかかって何も解決しない」と、調停を批判する声をよく聞きますが、理解できないわけではありません。
ただ、調停を多く利用させていただき、また意味ある多くの解決にも接してきました。
「時間」のとらえ方いかんなのかもしれないなと感じます。
逆説的な言い方になりますが、解決に時間がかかることに意味がある場合に、調停の妙味を感じます。
誰しも紛争の早い解決を希望するわけですが、待合室では、いろんな「時間」が流れています。
早期解決をめざして双方の感情が正面からぶつかって収拾がつかなくなったような場合、クールダウンの場として、まず調停に持ち込むことはよくあります。少し時間をおき、第三者が間に入り、裁判所という公の場で、冷静に話し合う枠組みを作りたいときです。
また、結論を受け入れるまでに心身ともに準備が必要だったり、経済的基盤を整えるために時間が必要なことも少なくありません。結論だけでなく、解決までのプロセスが大切なこともあります。
交代の待ち時間の30分間を寸暇を惜しんでノートや本を読み資格試験の勉強をしていた方がおられました。紛争当初の混乱した状況から長い時間を経て、調停が成立するころには国家資格を得て、自立していかれた姿を目の当たりにし、待合室でのいろんな意味ある時間を感じるようになりました。
時間の軸を意識しつつ、調停を考えていきたいなと思います。