【うまく維持されているみなし墓地例】続・全く大手メディアが報じない墓じまいの実態【岡山田舎版シリーズ】
“後でAI回答を出しますのでお急ぎの方は③へスキップしてください。
余裕のある方はぜひご一緒に考えながらお読みください“
今日人工知能(以下AI)がどんどん進化しておりますが、今回はこのAIとお坊さんの関係について私の考え(単なる想像)を書きたいと思います。
まずタイトルで「お坊さんvs人工知能」とあえて書いていますが、私は対決する意味など全くなく(対決したところで勝てない)、如何にうまく活用できるかだと考えております。
➀「対決する意味がないと思う理由」と「技術進化の歴史」
➁私の寺院活動におけるAI活用例
③AI進化でお坊さんが消える!?
➃今後の寺院AI予想
➀「対決する意味がないと思う理由」と「技術進化の歴史」
お坊さんがAIを利用しようとすると、おそらくこんな批判が出ます。
「お坊さんがAIなんて」「仏教者として如何なものか」などなど。
でもです。インターネット、パソコンどころか、「文字」や「電話」も当初は批判が出たという歴史があります。結局新しいものは世に受け入れられるのが真理かと思います。
私が拙寺のホームページを始めた2007年当時はまだ「坊さんがネット使うなんて…」のような空気がありました。ところが今ではHPはもちろんSNSを寺院運営に活用しているお寺はいくらでもあります。
私が「対決する意味がないと思う理由」はこういった点です。
➁私の寺院活動におけるAI活用例
ちなみに私はまだChatGPTなるものを利用したことがありません(この文を書いている時点)。
経験者に聞くところではすごく便利なようです。質問を投げかけると秒で回答が出て来る。特に仏教は膨大な情報を有するので、必要なものの抽出が容易になりそうです。
ChatGPTは使っていませんが、私も仏事で使っているAI技術があります。
それは「白黒写真のカラー化」です。
(上の画像は拙寺先々々代 隆如師のものです。)
例えばお参りしたお宅にご先祖の白黒遺影写真が掲げられていたとします。それをスマホで撮らせて頂きすぐにカラー化。それを見たご家族ご親族は「うわー懐かしい」「確かにこんな感じだった」などと結構喜ばれているのです。
特に、カラー写真が普及する少し前の年代。直接顔は覚えている(もちろんカラー)けど写真は白黒しか残されていない。そういう方に見せると昔話にも花が咲いたりして効果大です(と私は感じております)。
これが私の唯一のAI活用例です。
③AI進化でお坊さんが消える!?
AIによる読経、法話、相談など、これらを取って代わられるとお寺はまさに「死活問題」かも!?
そこで「お坊さん vs 人工知能」との質問でChatGPTを初利用してみたところ、回答は以下の通りです。(抜粋)
「お坊さん vs 人工知能」というテーマは、非常に興味深く、哲学的・宗教的・技術的な観点からさまざまな切り口で考察できます。
1. 知恵と知識の違い
・人工知能(AI) は膨大なデータから知識を高速で処理し、答えを出すことが得意。
・お坊さん は知識に基づいた「智慧(ちえ)」や「悟り」に重きを置き、人生の意味や苦しみの原因を深く内省して伝える。
2. 人間の苦しみにどう向き合うか
・AI はユーザーの質問に即答できるが、感情や共感を「経験」していない。
・お坊さん は自身の修行や人生経験を通して、苦しみを共有し、寄り添うことができる。
3. 死や無常に対する理解
4. 心と意識の問題
結論:対立よりも補完関係?
・AIは情報のナビゲーター、お坊さんは心のコンパス。
・将来、お坊さんがAIを使って法話を広めたり、AIが仏教を学ぶこともあり得る。
以上です。
➃今後の寺院AI予想
先の回答が当たっているとは限りませんが、私としてはデメリットを注視しつつもメリットに着目したいと思います。
例えばAさんの三回忌法要でAさんを“復元”させて会話してみるとか、こちらもAさん馴染の先代住職を“復元”させての法話とか。
「元気なうちにもっと聞いておけばよかった」とはご家族からよく聞くお話です。言語化されていない習わしがどんどん薄れていっているので、何か出来ればと思います。
私の考えをまとめますと、お坊さんにしか出来ないことをより磨けば良いと思うこと、加えてそこにAIをうまく活用できればいいのかなといったところです。
最後に。こんなお話をしながらも私共は毎朝6時半(ずれること有り)に手動で鐘を撞いて一日が始まります。超アナログです。どんなに文明が進化しようとも守るべき伝統は変わらず千年単位の月日が流れています。このコントラストが何とも面白いところですね。これからもぼちぼちやって参ります。



