【うまく維持されているみなし墓地例】続・全く大手メディアが報じない墓じまいの実態【岡山田舎版シリーズ】
新年あけましておめでとうございます。
本年もご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。
さてお正月と言えば初詣。合格祈願・必勝祈願に心を込めた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
私の寺へ合格祈願・必勝祈願に来られた方にする、お決まりのお話がありますので、参考までに少しアレンジしてご紹介致します。
(あくまで個人の持論であることをお踏まえの上でお読み下さい。)
もしあなたがこうだったら、と想像してみて下さい。
【仮定】
・あなたはテニスの選手だとします。
・明日、ライバルの○○選手と大事な試合があります。
・○○選手はあなたと同じ力関係です。勝敗はやってみないと分かりません。
・何としても○○選手に勝ちたいあなたは●●寺へ必勝祈願にお参りしました。
・●●寺で手を合わせていると、なんと横には同じく手を合わせている○○選手の姿が。
・神様も仏様もさすがに両者を勝たせることは出来ません。
ここで問題です。
どちらが試合の勝者となるでしょうか。
お寺やお宮さんに「お蔭」を求めている方には何とも夢のない話かもしれませんが、僧侶という立場でありながら現実的な私の考えを述べます。
まず、ご利益があると評判の寺社をお参りしただけで本当に結果が得られるならば、そんな楽な話はありません。そこまで安直なものではないと思います。
神様仏様にすがりたいぐらいの強い思いを持ち、努力していることが私の考える第一点目の要素です。
そして「その時だけ」お参りするのではなく、日ごろからお参りすることが第二点目です。
(初詣とはその年にまたお参りするから初詣と呼ぶのであって、初詣が終詣になるならそれは初詣にはならないですよね…)
神仏とて人間と同じく「都合の良い時だけ」頼み事をされるよりも、「力になってあげよう」と思える相手でなければ気の持ち様も違うかと思います。
そして結果はどうなるか・・・!?
「勝てたらやっぱりお蔭があった」「もし勝てなかったら『もう少し頑張れ』ということ」ぐらいに私は捉えます。
(結果ダメでも神仏のせいにするのはやめましょう。またリベンジへ向かって頑張りましょう。勝っても負けてもお礼参りは大切です。)
最後に少し宗教的(やや心理学的)な話をします。
本当に努力を重ねて祈願にお参りすると、背中を押してくれているような安心感(これが仏教用語で言うアンジン)を持てたり、「よし頑張るぞ!」という決意を改めて持つ機会にもなろうかと思います。
リアルに心の効果も大きくあるものです。
(この『安心(アンジン)』のお話は改めてしようと思います。)
私はふとした時にこれを実践できるよう思い出します。
さて、令和7年(2025年)が始まりました。ここまで読んで下さった方はちょっと頑張ってみようという気分になられたでしょうか。良い事も悪い事も人生トータルだと思っております。
お身体にも気を付けて心機一転、無理ない範囲で頑張って参りましょう!!