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【お寺の経済学Vol.1】寄附集めの光と影【深掘り情報】

若松慶隆

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お寺の境内に並ぶ寄附石。
寄進者のお名前と金額が刻まれています。


しかしよく見てみますと例えば50万円の次は60万円でも55万円でもなく、51万円、54万円、54万2千円…と続いています。
なぜこのようになったかは後ほどお話し致します。

(ただしこれはあくまでバブリーな時代の事ということをご留意下さい。)


 そこで今回は寄附集めにまつわるお話です。
寄附集めを巡るトラブル事例も近年はよくメディアで報じられていますので、寄附集めの意義やお金の流れから、そのメリット・デメリットまで深くお話したいと思います。

もくじ
➀寄附集めとは
➁寄附石の効果
③54万2千円という額の寄附がある理由
➃寄附集めを巡るトラブルが起きている理由
⑤当寺での取り組み
➅今後の展望(+寄附石余談)



➀寄附集めとは
 
 お寺や神社において大きな額を要する修繕・新改築は必ずいつか訪れるものであり、その全額を普段の活動収入で賄える寺社は極めて稀なのが現状です。
そこで、檀家さん(神社なら氏子さん)から浄財をお願いして必要なお金を工面する事がここで言う『寄附集め』です。もちろん寄附行為は任意の志であり、強要するものでもなければ、額を決めるものではありませんが、現実問題としてある程度の計画的計算が必要となってしまうのです…。
 算数のお話になりますが、寄附集めのオーソドックスな流れは次のようなものです。

《例》
・●●寺は経年劣化で大規模修繕が必要となった
・総額A円が必要
・●●寺の会計(法人として持っているお金)からB円出せる状態
・そこで足らずのC円(=A円-B円)は御寄附に頼らざるを得ない
・C円を檀家軒数で割り算するとD円になるがその前に、D円をなるべく低く抑えるために、もっと多く出して頂ける方(『篤志』や『篤信』と言う)を募る
(・住職も個人として参加)
「X円以上の御寄付をして下さった方は篤志者としてそのお名前を刻んだ『寄附石』を境内に残します」のような触れ込みで募集
・その後、残り金額をまた軒数で割り算するとE円に圧縮
以上の流れや趣意を丁重に説明して回り、目標総額A円をありがたく達成できれば工事開始……最後は晴れて落慶式

このような流れです。

➁寄附石の効果

 寄附石は末永く境内に存在し続けます。
「お役に立ちたい」とか「名前を残したい」という思い、それと「懐事情」を鑑みながら篤志の方は寄附をされます。
いざ落慶が終わると嬉しい、喜ばしいと思われる方が多いと感じます。
そしてその効果は時が経てば経つほど大きくなるようです。
特にご本人の没後、寄附石を見た子孫の方はとても嬉しいようで、例えば写真を撮ったり(今ならスマホで誰でもすぐに撮れる)、昔話や我が家の話に花が咲いたり…といった光景が見受けられます。
“永遠の誇り”になっているのかなと思います。
ただし、「名前を出すための寄附ではない」という考えで「匿名」「寄附石は要らない」という篤志者も中にはいらっしゃいます(無償の愛)。

③54万2千円という額の寄附がある理由
 ようやく導入部分の答えになりますが、それは『少しでも上に名前を出したかったから』です。
今どきなら「は!?そんなことで大金出すなんて!!!?」と感じる方が多いかと思いますが、この寄附石は昭和末期~平成初頭にかけてのものです。
今より信仰心が全国的に篤かったこと、そして何よりバブル経済期でした。
こうして『寄附石競争』が起きたのです。
当寺において前回の大規模修繕にはこういった背景がありました。
しかし次の時には果たしてどうなるでしょうか…。

➃寄附集めを巡るトラブルが起きている理由

 格差社会、景気低迷、価値観の多様化、薄れゆく信仰心、…そんな日本社会の変化の中で、こうした寄附集めを巡るトラブルがメディアで報道されるようになりました。
(ただしいつも申し上げておりますが、メディア報道は一部の例をウケるように報じていることはいつも念頭に置いて下さい。)
どういったトラブルが起きているか、なぜ起きるのか、実際に私が知っている例をもとにご説明致します。

・人々の意識変化
 私は過去に「『檀家さんはお寺というチームの一員』である」というお話をしましたが、その意識は薄れているどころか全く持っていない方が過半数になっていると感じます。
「お布施は法事や葬儀の対価として支払うもの=お寺(お坊さん)はサービス業」くらいの感覚がボリュームゾーンではないかと予想します。
なので「なぜ〇万円も自分と関係ないことに出さなければならないのか!!」と思われて当然です。これは重要なポイントです。

・説明不足や対話不足
 なので本来の意義をよく理解共有して頂けるような丁寧な説明や対話は必須かと思います(それは寄附が必要な時だけでなく日ごろから)。
それが上手く出来ていない場合や、賛同を得られない事業の“見切り発車”…ただでさえ良くない感情をさらに害します。

・(再)人々の意識変化
 行きつけのお店を変えるようなもので、不満が高まれば「檀家を抜ける」「他のお寺に代わる」という選択肢を昔より取り易くなっています。

・結局は金銭トラブル
 そういった場合に「離檀料〇円を納めなければならない(→つまり寄附額払うのと同じ)」とか、出せない方にも強要する、…などの金銭トラブル。
これは一部のケースではありますが、今日メディアで報じられているのはこういったものです。

⑤当寺での取り組み

 参考までに、私の寺での将来を見据えた取り組みをご紹介させて頂きます。
 社会の変化はますます速いスピードで進み、従来の寄附集めのやり方はもう出来なくなるであろうと思っています。
そこで当寺では10年ほど前から1年ずつの積み立て制度を設けるようにしました。将来に備えてコツコツ積み立てておき、いざという時いきなり大きな額を求めなくて済むようにした方が良いという考えです。
(この制度を導入するにも発案から開始まで約5年要しました…。)
これが正解か不正解か、その答えが出るのは将来です。
余談ですがこんな例もあります。
あるお寺の住職さんが宝くじに大当たりし、一切寄附に頼らずお堂を建立しました。しかし意外にも既存の檀家さんの心は離れていってしまったとのことです。『適度な帰属意識』を持って頂く機会を全く無しにすると逆効果を生むという、人の心と行動は何とも難しい答えのない問題だと考えさせられます。

➅今後の展望(+寄附石余談)

 ここまでの話をまとめると寄附集めの難化は間違いなく進む、だけど寄附石を望む方は減っても存在し続ける。両者のバランスをよく見極めないと理解は得られないということかと思います。

 最後に寄附石にまつわる余談話です。
境内のキャパシティには限りがあります。境内整備をする際に過去の寄附石を移転・撤去集約したくなることはあり得ます。寄附石は思いの詰まった“永遠の誇り”である以上、お寺としては十分なご理解得ずして手を加えるわけにいきません。なので将来を見据えると目先の寄附集めのための『寄附石の安売り』は避けるべきだと思います。
そういった事情や寄附石のコスト面が理由で、近年は『御芳名板』などコンパクトな形で済ましているお寺さんが増えています。
今回も長いお話になってしましましたが最後までお読み頂きありがとうございました。

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若松慶隆
専門家

若松慶隆(住職)

朝日寺

元銀行員という異色の経歴を持つ住職。多様な価値観でそれぞれの家庭事情に真摯に向き合い葬式や法事などを執り行う。寺の歴史や伝統行事などをHPやSNSで情報発信し、檀家外の人も集う開かれた寺を目指す。

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