【うまく維持されているみなし墓地例】続・全く大手メディアが報じない墓じまいの実態【岡山田舎版シリーズ】
前回は「なぜ戒名があるのか」「なぜ戒名不要論が巻き起こるのか」についてのお話でしたが、今回は「戒名にはなぜランクがあるか」についてです。
➀なぜ戒名にランクが?
➁草野球チームの例え
③お寺における貢献のあり方
➃「檀家さんはお寺の構成員である」という意識の薄れ
➄ご注意ポイント
➅戒名にまつわる余談
【➀なぜ戒名にランクが?】
仏教では「人々はみな平等である」という教えを説いておりますが、なぜ戒名にはランクがあるのでしょうか。それは菩提寺(ぼだいじ:檀家になっているお寺)への生前の功績や社会貢献度などに応じて、その功績を後世に残すためです。
ではなぜそれを残す必要があるとか考えると(これは個人的な考えですが)、『お寺はチーム』だという考えに基づいていると思います。
【➁草野球チームの例え】
例えば「部員20人(監督含む)の草野球チーム」があるとします。
チームへの貢献とは、物心両面でいろんな貢献のあり方があると思います。良い成績を残してチームを引っ張ってくれた部員ももちろんですが、いつも早く来てグランド整備や掃除を率先してくれた人、新たにピッチングマシーンを買うのに部員1人5万円集めなければならないところを「じゃあ自分はみんなの負担を減らすために50万円出します」と言ってくれた人。
どの方もチームに大きく貢献されているわけです。
【③お寺における貢献のあり方】
それはお寺においても全く同じことです。
お寺は一般の商売(お店とお客さん)とは違い、住職と檀家さんを構成員とするひとつのチーム(宗教法人○○寺)です。多額の寄付をして下さった方ももちろんですが、多年にわたり役員を率先して下さった方、いつも掃除を熱心にして下さった方、等々いろんな貢献のあり方がお寺というチームにもあります。
そういう方に与えられるのが「院号や居士号(大姉号)と言われるような特別な戒名」なのです。
拙寺では「総代や世話役を〇年以上、または住職が特別に貢献大と認めた場合『院号』を授与する」とさせて頂いておりますが、いろんな貢献のあり方とは申しましても住職の一存だけでは明確な基準がないと「○○さんは院号もらえたらしい」「●●さんはもらえなかったらしい」と不平が出かねず、多くの場合はご本人・ご家族のご希望に応じて『院号(=一定の院号料をお納め頂く)』を授与する形となっております。
【➃『檀家さんはお寺の構成員である』という意識の薄れ】
「1軒1軒の檀家さんはお寺の一構成員である」という意識が現代では薄れてしまっていること(←これはそれを率いるべき立場の住職にも責任の一端はあると思います)、前編で触れたそもそもの「戒名不要論」などから、本来の意義は形骸化されてしまい、『戒名=値段によってランクがあるもの』いかにも金銭で売買されているような印象を抱く、面白おかしな情報が錯綜しているのは残念な事です。
【➄ご注意ポイント】
あと付記として草野球チームと違う点があることも知っておいて頂きたいポイントです。
「多い文字数の戒名=生前貢献された方」という意味に加えて『今後もそれに見合ったお付き合いをして下さい』という意味合いを含んでいるお寺さんは数多く存在します。
例えば「院号の付いている檀家さん」と「院号のついていない檀家さん」とでお布施の相場や寄付の目標額が違うというケースがあります。(拙寺ではそれは檀家さんの任意ということで現状何も区別はしていませんが、本来はそういうお寺さんの方が正しいと思います。問題なのは前者のパターン(院号家)のみを切り取って『強制高額請求』と報じられたり、『ランク下げ』に応じてくれない住職さんのケースです。)
【➅戒名にまつわる余談】
ちなみに最もオーソドックスな戒名は『○○○○信士(信女)』という6文字のもので、長いものは『○○院○○○○居士(大姉)』という9文字のものであり、それ以上はよっぽどのことがない限り授与しないのですが、2022年7月8日に銃撃事件の犠牲となられた安倍晋三元首相の戒名は『紫雲院殿政誉清浄晋寿居士』という12文字の戒名です。しかし文字数も去ることながら著名人の戒名を調べてみると、その方の面影を偲ばせる文字列が多くあり、住職として勉強になります。
なお、戒名については他にも知って頂きたいことがあるので、次は『戒名論・続編』を書きたいと思います。