【うまく維持されているみなし墓地例】続・全く大手メディアが報じない墓じまいの実態【岡山田舎版シリーズ】
Q.戒名なしでお葬式してもらえますか?
A.いいえ。戒名なしでは出来ません。
と大半の住職さんがそうお答えになると思います。
戒名不要論が巻き起こる理由として、問題だと思われるのは、
「問答無用に高額な戒名料を要求されるケースが『稀に』あること」…➀
であり、
「戒名そのものを否定することは別問題である」ということ。
そもそも仏教的には、
「戒名なしでは葬儀や法事は成り立たない」…➁
にもかかわらず、
「➀に偏った情報の錯綜に踊らされ『戒名不要論』が増加している」…➂
としたらこれは由々しき事態だと思っております。
例えばテレビのワイドショーで有名人の葬儀・告別式を扱う際、「実に○○さんらしい戒名ですね。」という取り上げ方は近年すっかり見聞きする機会が少なくなったと感じる反面、「本人の希望により無宗教で行なわれました。」「戒名無しで行なわれました。」そこにコメンテーターが「私もそれでいいと思います。」「戒名なんて要らない。値段でランクが決まるなんておかしい。」こういう論が跋扈していると感じます。特にここ10年ほどでしょうか。
≪なぜ戒名にランクがあるか、は続編として次回出します。≫
まずは➁から参りましょう。
戒名とは「仏教において、戒を守ることを誓った(受戒した)者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守る証として与えられる。」(Wikipedia)とのことです。
私がよく言う例え話として「大相撲の力士には親方から『四股名』が与えられる」「書の道においては師匠から『雅号』が与えられる」のと同じことで、仏教徒として菩提寺の住職より与えられるのが戒名であり、その授与は生前・没後を問うものではない、ということです。
そもそも(少なくとも真言宗では)葬儀はただ読経を上げているのはなく、亡くなった方に戒を授け、身を清め、仏教徒(修行者)にさせるのが主たる意義です。
〘「戒名なしのお葬式」を謳っている僧侶派遣会社が存在します。「お経を上げてもらえれば充分」と仰る方のお気持ちも分かりますが、教義的には矛盾していることになります。〙
これを前提として問題を探ります。
では➀に戻ります。
問題となるのは、戒名が必要だという反面、高額な戒名料を要求されるケースが一部にあることだと思います。
最も短い戒名(6文字)の場合、拙寺では『戒名の件も含めて葬儀一式のお布施の目安は〇万円』とさせて頂いております。そういうやり方のお寺さんも多くありますし、「6文字の戒名料はいくら」と決めてらっしゃるお寺さんもありますが、それをお聞きして多くの人が決してびっくりするような金額ではないと思います。都会を中心として極一部に戒名100万円というような報道を目にしますが、これは極一部のケースであること(また、あえて『高級路線』で敷居を高くしているお寺も中にはあり、それはそれで一概に否定されるべきものではないと考えます)と、ご先祖は院号(多い文字数の戒名の一種)が付いているので…と『ランク下げ』を許してもらえないお寺さんが(これも一部ですが)存在すること。
そしてこういうケースばかりに偏った報道により『戒名=高額なもの=要らない』というイメージを刷り込まれているようです。
拙寺でもこういった情報に感化された檀家さんは居られ、ご訃報の段で「戒名なしでお願いしたいです」と仰られたことは事実ありました。ただ、上記のような戒名の説明をして理解を得られなかったことはないです。(むしろ故人らしい戒名を付けて頂いてありがとうございます、と喜ばれるケースの方が多いです。)
なのであまり情報に翻弄されることなく、正しい知識として「戒名とは何か」を知って頂きたく、今回はこのようなお話をさせて頂きました。
次回はその続編として『なぜ戒名にはランクがあるか』についてお話しする予定です。(了)