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【お葬式に見る】人の縁まで破壊する新型コロナウィルス

若松慶隆

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1.人と人を結束させていた、かつてのお葬式。
2.自宅葬→会館葬への変遷。
3.一般葬→家族葬への変遷。
4.新型コロナウィルスはお葬式にも大きく影響してしまっている現実。

1.本来お葬式とは、故人を見送る場であるとともに、家族親族、そして地域共同体の絆を結束させる機能を併せ持つ重要な場でした。
自宅でお葬式をしていた時代は、地域の誰かがお亡くなりになると、いわゆる十戸(ジッコ)と呼ばれる共同体がすぐに発動し、男性陣は主に力仕事(土葬時代は穴掘り含む)を、女性陣は一番飯の用意から通夜振る舞い、仕上げの食事などを担っていました。

2.そして時は流れ、葬儀会館でお葬式をするのが主流となりました。
(正確に言うと、地域で誰かが会館葬を一回やると、後に続く喪主さんは『うちだけが自宅葬をやるわけにはいかない。』『周りに迷惑が掛かり申し訳ない。』という理由で一気に地域全体が葬儀会館に流れたのです。私の地域では2000年初頭の出来事です。)
葬儀社の台頭は痒い所に手が届くもので、喪家と宗教者の間を取り持ち、様々な十戸の仕事を肩代わりし、その負担は大きく減りました。

しかし、いわゆる一般葬(家族親族+地域住民や知人)が主流だった時代は、共同体の絆を結束させる機能が、まだ残っていたと思います。
「こういう場でもないとみんなで会うことがないね。」という親族の数々…。
そこに、お通夜式にもお葬式にも地域住民や知人らが参列し、故人の昔話やら井戸端会議やら話に花が咲き、人と人を結びつける機能が発揮されていました。
(実際に「近所に住んでいても葬式ぐらいでしかみんなに会うことがない。」という声は多数聞いております。)

3.それが当地域では2010年頃からいわゆる『家族葬』が徐々に増えてきました。
(元々は現在の家族葬の意味合いで『密葬』という言葉を葬儀社が使っていたところ、仏教界より『それは誤用である』と反発を受け、考え出した造語が『家族葬』。)
家族葬は喪家の負担を減らすというメリットの反面、お世話になった地域住民や知人らの見送りたいという気持ちと交流機会を無くしてしまうという負の側面もあります。果たしてどちらが本当の心のこもったお葬式なのか、その見解は人によるでしょう。
ただ、『自宅葬→会館葬』の経緯と同様、「周りは家族葬なのにうちだけ一般葬をやるわけにはいかない。」という理由で、家族葬の割合はどんどん増加しました。

4.そして、そんな中でトドメを刺したのが本題の『新型コロナウィルス』です。
まずは、お葬式はほぼ完全に家族葬化しました。
さらに考えどころなのは、その家族親族の小規模化です。
全国で緊急事態宣言が発令された頃は、『県内の者だけで故人を見送る』という事態になっていました。(当時は葬儀社の方も県外の人が参列することにはかなり警戒されていました。)
行動制限が解かれた現在は、どの範囲の親族を呼ぶかは喪主さんの意向次第にはなったのですが、遠くの親族を呼ばない傾向にあります。
(本当にコロナを心配して呼ばないのか、コロナを良いきっかけにして呼ばないのか、それは顔色を見ればお察しがつきます。)
お葬式に呼ぶか呼ばないか、それは今後のお付き合いを続けるか続けないかを意味するに近いものがあります。
お葬式に呼ばないということは、その後の四十九日、年忌法要にも呼ぶこともありませんので、おそらくその縁は疎遠なものとなることでしょう。
つまり新型コロナウィルスは、地域共同体を破壊しただけでなく、親族の縁すら破壊しているのです。本当に人と人のかかわりが希薄になっております。

いったい日本社会はどこへ向かおうとしているのでしょうか。
特効的な改善策は残念ながら見つかりませんが、私に出来ることはせいぜいひとつひとつの仏事を今まで以上に丁寧にこなすことぐらいしか見当たりません。
警鐘の念も込めつつ、この文章を最後まで読んで下さった方に何かを投げかける機会になればと思い、執筆させて頂きました。(了)

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若松慶隆
専門家

若松慶隆(住職)

朝日寺

元銀行員という異色の経歴を持つ住職。多様な価値観でそれぞれの家庭事情に真摯に向き合い葬式や法事などを執り行う。寺の歴史や伝統行事などをHPやSNSで情報発信し、檀家外の人も集う開かれた寺を目指す。

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