水俣病は、感染症?遺伝病?
中高一貫校や私立高校でよく行われる学習方法に、高2の終わり頃までに学習をほとんど終わらせて高3からは受験勉強に専念するというやり方があります。学校によって取り組みは様々ですが、一応「前倒しカリキュラム」(ネットで見つけた表現です)とまとめて、表現することにします。
「前倒しカリキュラム」は無意味だと私は思っています。
あのやり方は昔からあって、私が通っていた私立高校も同様でした。なかでも生物の授業が印象的でした。高1高2の間は全ての授業が実験観察で、たいへん充実していたのを覚えています。授業の後はその実験観察のレポートを提出しなければならないので苦労しましたが、今でも保存しています。
しかし高3からは、全て問題練習でした。そうなると模試の成績はみるみる上がっていきます。難関国立大学入試でも(すべりましたが)生物のテストだけはトップレベルの成績を取れたと思っています。でも今振り返ってみると、あれはどちらかというと無駄だったと考えています。
なぜなら、生物学が進歩して問題練習で得たものは時代遅れになっているのです。それに対して実験観察で得たものは今もそのまま使えますし、進化した生物学を反映させてバージョンアップすることもできます。
例えば「細胞」という存在についても、信じられないほど研究が進んでいます。IPS細胞でノーベル賞を取った山中伸弥さんがテレビで「勉強することがたくさんあって、今の学生さんは大変ですね。」と発言されていますが、本当にそう思います。
例をあげると植物細胞には「液胞」という器官があります。「液胞」の観察にはユキノシタという植物をよく使うのですが、高校の校庭に生えていたユキノシタの液胞を授業で顕微鏡観察した記憶があります。実は青穂塾野外実習場にも自生していますので、中学生の授業に必ず使います。
「液胞」については、50年くらい前だと「老廃物の蓄積が主な機能であるが、詳しいことはまだ解明されていない。」というような説明であったと記憶しています。2025年12月にウィキペディアで「液胞」の項を見てみますと、概説だけで10項目の機能が説明されています。皆さんも見てください。
問題練習でたくさん知識を詰め込んでも、現代社会ではすぐに時代遅れになってしまいます。それよりも時間をかけてていねいな学習をした方がどれだけいいか分かりません。「前倒しカリキュラム」で得たものは、入試の成績を上げただけだったのではないでしょうか。
問題集ってそんなにいいものだと思いません。
問題集は、本来の学問的成果を利用して問題作成者が自分の考えを元に問題を作成し、学習者がそれを利用するという流れになっています。そのため本来の学問的成果とは別の、問題作成者の考えを学習することになってしまいます。問題作成者が適切な人物であればいいのですが、そうでない場合は悲惨なことになります。
入試問題集の場合はもっと悲惨です。入試問題を作成した学校が正答を発表しなかった場合、正答が出版社によって違う場合がまれにあります。「解き方の解説」の場合は、出版社によって異なる解説を書いていることは日常茶飯事です。首をかしげるような解説に出会うこともよくあります。(若い頃「入試問題集の解説は、大学院生がアルバイトで書いている。」という話を聞いたことがあるのですが、本当かもしれません。)
国語の入試問題になると、恐ろしいほど悲惨です。入試問題の性質上、著者に事前許諾を求めることができませんので、入試終了後に連絡が来るそうです。そこで送られてきた入試問題を著者自身が解いてみると、満点が取れなかったという報告を3件ほど読んだことがあります。ある著者などは、「著者の意図」を間違えたと報告しています。そして「正答」を読んで、「そう言われればそうか、と妙に納得した。」と報告しておられました。皆さんもネットで「入試問題 作者の意図と作品の解釈のズレ」などで検索してみてください。
問題集から未来が見えますか?自然や社会を分析して新しい未来を構築する能力がつきますか?
考えてみてください。
世界平和を構築するための問題集ってありますか?
「前倒しカリキュラム」に重きを置き、問題練習にはげむ日本の高等教育は、正しいのでしょうか?



