「読解ロジック」問題の答
信濃毎日新聞では毎年夏に、「山ろく清談」というインタビュー記事が一面に載ります。今年は作家の今野敏氏の話が印象に残りました。その最後の一節をそのまま引用してみます。
電車に乗っている時、みんなスマホ見てますよね。変な言い方だけれど、ぼーっと
していた方がいいよ。何もしないで。考える時間が少ないと、自分の「鉱脈」を掘り
出せない。昔はみんな、ぼーっとしていました。
昔読んだ「ぼんやりの時間」(辰濃和男著)という新書を思い出し、再読してみました。
カバーの見返しにはこうあります。
常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊しつつある。
今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのではないか。
串田孫一(詩人・哲学者)や岸田衿子(詩人)、H・D・ソロー(作家・思想家)などの言葉や行動を例に挙げ、「ぼんやり」を礼賛しています。ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」では、時間泥棒に襲撃された街の人々が「不機嫌な、くたびれた、おこりっぽい顔をし、とげとげしい目つき」になって行く...。我々もそんなふうになっていないかと問いかけているのです。
無駄な時間を削り、忙しいことが善であるかのような生き方が、経済優先の社会で美化されてきたのではないでしょうか。世の中の流れに取り残されまいと寸暇を惜しんでインプットに励むばかりでなく、ときには立ち止まって空を眺めたり、季節の花や虫の声を楽しむゆとりが必要です。それはまた、情報を租借し、自分の考えを整理する時間にもなるはずです。無駄や遊びの効用にも目を向け、積極的にぼーっとしてみませんか...?