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菊地茂(きくちしげる) / 行政書士

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コラム

仙台の行政書士より190217心のメッセージ

2019年2月17日 公開 / 2019年2月19日更新

コラムカテゴリ:法律関連

コラムキーワード: 行政書士 相談

 本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。

 今日は、佐藤優著 人生の役に立つ聖書の名言(講談社)から一節を紹介いたします。

 〈汚れたものとは〉

 それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
 「ローマ人への手紙」14章14節

 パウロの時代、キリスト教徒は、ユダヤ教の伝統を重視して、食物について「清いもの」と「汚れたもの」を厳格に区別する人々と、そういう区別をしない人々に分かれた。当時の常識では、ユダヤ教の律法を遵守し、「汚れたもの」を遠ざけるキリスト教徒のほうが信仰が強い人々と見なされていた。
 パウロはこのような価値観を脱構築する。このときパウロは、「清いもの」と「汚れたもの」の区別を無くしてしまうのではなく、「汚れたもの」に対する概念を変化させることで問題の解決を図った。すなわち、もの自体が汚れてるのではなく、それと人間がどのような関係を持つかによって、汚れているかそうでないかが決まるとした。
 この論理は、「清いもの」に対しても適用される。一般に「清い」とされているものに、人間が汚れたアプローチをするならば、それは「汚れたもの」になるのだ。パウロの解釈によって、「清いもの」「汚れたもの」の概念が動的で、相対的なものになった。その結果、キリスト教徒は何でも食べることができるようになったのである。





 

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