仙台の行政書士より241127心のメッセージ
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、佐藤優著 人生の役に立つ聖書の名言(講談社)から一節を紹介いたします。
〈サマリヤの女〉
この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。
「ヨハネによる福音書」4章13-14節
サマリヤとは、当時、他のユダヤ教徒から差別されている人々が住んでいる地域だった。ユダヤ教徒は、サマリヤの人々と付き合うことを避けようとする傾向があった。これに対して、イエスはサマリヤの人々とも分け隔てなく付き合った。
水汲みの場のそばで、イエスはサマリヤの女に「水を飲ませて下さい」と頼んだ。サマリヤの女は驚いて、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤのわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」と問いかけた。その後少しやりとりした後で、イエスはここで掲げた言葉を述べたのである。
「永遠の命」は選民という自己意識を持っているユダヤ人のみに与えられるものではない。イエスの説く福音を信じ、隣人を自分と同じように愛する者は誰でも救われるのである。ユダヤ教の救済が一民族に限定されているのに対して、キリスト教の救済は民族の壁を越えた普遍的性格を帯びている。そのことが端的に表れている個所だ。