仙台の行政書士より241125心のメッセージ
本日は午前中、東京都立川市の立川純福音教会(泉パウロ)先生の主日礼拝に出席し、午後は川崎市の一般社団法人働くしあわせプロジェクト開業レセプションに出席いたします。
今日は、前島誠先生のことばのご紹介です。
主は正しくいまし、
恵みの業を愛される。 [詩編・11編7]
正義とは何か?そう聞かれて、どうお答えになるでしょうか、意外に難しい問いです。改まって尋ねられると、うまく答えられない―そういうことがあります。
今回は正義について、聖書は何を語るのか、それを原点からみてみましょう。
「正義」をヘブライ語で〈ツェダカー〉と言います。その原意は「施し」でした。引用で「恵みの業」と訳出された箇所は、原文では〈ツェダコート〉(ツェダカーの複数形)が使用されています。
「施し」の行いと「正義」、どこでどうつながっているのでしょうか。
ペンを二本持っている人が、道で一本もない人に出逢ったら、一本を相手に施す。二対○の関わりだったものが、施しによって一対一の関係に変化する。そこに平等が生まれる。それが正義だ、と言うのです。
「正しくいます」主が愛されるのは、人がツェダカーの行いに励むこと、それによって平等で平和な世界はこの地上に実現する。―聖書に「御国」とあるのは、これを指して言っているのでした。
「御国の来たらんことを」と唱えるとき、どうかこの〈ツェダカー〉の意味を、心に留めていただきたいものです。