仙台の行政書士より241218心のメッセージ
本日は午前中、運送業許可申請に関するご相談をお受けいたします。午後は、NPO法人シャロームの会でひきこもりのご相談をお受けいたします。
今日は、田中信生先生の言葉をご紹介いたします。
不登校の子どもさんに、親は「学校に行け」、先生も「学校に来い」と口をすっぱくして言うのですが、効果がありません。困り果てた親と先生は、「『行け!』とか『来い!』とか一切言わないほうがいい。そうするとやがて自分から行くようになるから」というアプローチをすることにしました。
ところが、子どもは不登校を克服できなかったばかりか、新たな不安を抱えこんでしまいました。「親も先生も学校のことを言わなくなったけれど、自分のことなんかもうあきらめて、どうでもいい…と思っているのだろう」と。
このように「行かなくてもよい」と言われて、自分から学校に行きはじめる子どもがおり、他方にもっと不安になってしまう子どもがいます。なぜでしょう。子どもが不安になってしまったケースでは、親と教師は、「行け!」と言わないほうが、効果があるあろうという動機から言わせなかっただけで、ほんとうは行かせたかったのです。
「行かなくてもいい」と言ったのはたんなる駆け引きです。学校に行きはじめたケースでは、その子が「なぜ学校に行かないのか?」という気持ちが分かったから「行け!」と言わなかったのです。駆け引きではなく、本音で心に触れたからよかったのです。ことばが問題なのではなく、その言葉がどういう気持ちから出てきたのかが問題なのです。その動機に、「治そう」があるのか、「分かろう」があるのかの違いです。