終活上級インストラクターの健康法【運動編】
本日も下重暁子さんの「明日死んでもいいための44のレッスン」、本日はその第7弾「新聞の訃報欄を見る」を皆さんにお伝えしていきたいと思っております。
下重さんはこのようにおっしゃっております。
「私も毎朝新聞2誌を開かないと、朝がきた気がしない。休刊日は、何となく物足りない。手持ちぶさたなのだ。長い間仕事をしていると、お世話になった人もいれば、しばらくご無沙汰している人もいる。」とおっしゃっております。
私も毎朝地元紙である「河北新報」の朝刊を見ているわけですけれども、私も同じように、いつからか訃報欄を見るのが日課になっております。下重さんもおっしゃっておりましたが、知っている人が亡くなった。その年齢を書いてある場合がありますので、自分の年齢に近い方が亡くなった。それを見ると「自分の死が近づいているのか」ということを考えるようになります。そしてご無沙汰している方が亡くなった訃報欄を見ると、やはりあの方ももう亡くなってしまったのかということを実感する、事実を確認できる。
これは前回お伝えをした「会いたい人に会いに行く」というところ繋がると思うのですが、訃報欄を確認して、会いたい人が亡くなっていれば、もう会いに行くことができなくなる。ある方はそう言って、昔お世話になった方、そして恋人などに「お世話になりました」と、お墓参りをしに行ったりする方もいらっしゃる。
それは自分の人生をもう一度再確認する、「本当にあの節はお世話になりました」ということを自分の中で確実なものにする。それを認識していくという行為だと。そして悔いのない人生にするための作業なのかと思っております。
若い方が新聞を見て、訃報欄を確認することはないと思います。それをする行為は、まさに自分の死が近づいている現状だと認識するべきではないでしょうか。
どうか皆さん毎朝新聞を読んで、訃報欄を見ることが日課になってきたら、死が近づいているということを自覚していただいて、明日死んでもいいために、悔いの残らない人生を送るための準備をしていきましょう。
それにはやはり私が終活セミナーでお伝えしている、終活の第一歩ぜひエンディングノートを作成していただければと思っております。エンディングノートのことで何かご質問等がございましたら、村建地所にお問い合わせをいただければエンディングノートをたくさん用意してありますので、お分けすることも可能ですから、ぜひ問い合わせをいただければと思っております。