読書日記「百年の孤独」
昨年の12月26日に、札幌弁護士会所属の渡辺英一先生が12月21日にお亡くなりになられたとの連絡を受けた。
膝から崩れ落ちそうになるほどの衝撃であった。
平成6年から平成7年にかけて、司法修習の実務修習地は札幌であった(第7希望)。
関西から出たことがなかった私であったが、今では札幌が第二の故郷であると思っている。
私は渡辺英一先生の初代修習生として弁護修習で本当に様々なことを教えていただき、函館で開催された道弁連大会にも連れて行っていただいた。弁護士としての第一の師匠は渡辺英一先生である。
渡辺英一先生とは、数年前、私が日弁連の公設事務所・法律相談センター委員会の委員長就任直前に、委員長内定者ということで名寄ひまわり基金法律事務所の引継ぎ式に参加させていただいた際、ご一緒してからお会いできていなかった。
そのときはお元気で、奥様ともお会いでき、楽しい時間を過ごすことができた。
こんな早いお別れが来るとは全く想定していなかった。
渡辺英一先生と一緒に事務所をされている作間豪昭先生からも12月27日に直接お電話をいただき、経過の説明をしていただいた。
以下、弔電として送らせていただいたものを掲載して、渡辺英一先生を追悼するものである。
突然の悲報を受けて、胸が張り裂けそうでした。
今も、本当のことだとは思えません。
ご家族や、事務所の皆様方の悲嘆はいかばかりでしょうか。
本当に胸が痛みます。
今から約28年前に札幌で弁護修習をした時に、私は、渡辺英一先生の初代修習生としてご指導いただきました。
心優しく、依頼者の為のことをいつも第一に考えておられ、熱いハートを持たれていた渡辺英一先生。
ダンディで、当時はタバコも吸われていて、お酒をどれだけ飲んでも翌日は平然とされていました。
体調を崩され、タバコもお酒もやめられましたが、私の中で、渡辺英一先生はいつまでもお元気だと思い込んでいました。
人生にいつか別れの日が来ることは致し方のないことかもしれませんが、あまりにも早すぎる別れです。
私は、心の中で、弁護士としての第一の師匠は渡辺英一先生であると思ってきました。
そして、それはこれからも変わりません。
札幌に事件や弁護士会の調査、日弁連のブロック協議会で行く際には、渡辺英一先生と少しでも話ができることが私の楽しみでした。
もう、あの渡辺英一先生の声を聞くことができないと思うと、本当に何も考えられません。
本来であれば、私もお別れの会に行きたかったのですが、新型コロナの影響で席が少ないということで、渡辺英一先生のお人柄であれば、地元や道内の先生方の参列も多数あられると思い、参列を断念させていただきました。
これからも、渡辺英一先生の教えを胸に、一つでも、小さなことでも依頼者のための活動を、そして、人権擁護活動をして参ります。
どうぞ、安らかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。