読書日記「百年の孤独」
コロナがおさまっていた時に、若い弁護士と食事をして二次会で話をしていた時、その若い弁護士は仕事上色々なことにイライラしている様子であったので、「素の自分のまま仕事してない?」と聞いてみると、彼は素のままで仕事をしているということであった。
弁護士の仕事は相手方からのストレスも受けるし、何度説明しても説明内容を忘れてしまわれる依頼者もいるし、早々に書面案を作成しても返事を全く返してくれない依頼者もいるから、まともに受けとめていると、素のままでやっているとイライラするのは当然である(依頼者もきちんとされている人もそれは当然いる。)。
なので、仕事中は、素のままの自分というよりは、弁護士としての職業を演じている自分というような気持ちでやることで、そうしたイライラは軽減されるという話をした。現場にいたベテラン弁護士2名も同じような感覚で仕事をしているということであった。
かつては、相手と自分との間に透明な壁があり、そこでいったん受け止めてから自分の中に物事を入れるようにした方がいいと若手に説明をしたのだが、同じ話である。
弁護士としての自分と素の自分が全く別人格である訳ではないのだが、素の私はものすごい短気であるが、仕事であると気が長くいられる。
だいたい短気だと思われているが、共同受任したりすると、仕事上の私の気の長さに他の弁護士に驚かれることもある。
日常的に人は、その場その場で人格が多少変わっているはずであるので、私が特段二重人格とかという訳ではない。
素の自分とは、自分の親と話す時の自分であると思っている。
声のトーンが仕事中とは変わるはずである。
まあ、そんな話である。