在りし日の小次郎
カタツムリが家の裏手にいた。
ここのところの雨で、うろうろとしているのであろうか。
カタツムリは久しぶりに見た気がする。
子どもの頃は、少し離れた友達の家と家の隙間に水路があり、その奥に木が生い茂っていて、カタツムリの穴場のようなところがあり、たまに捕まえてきていた。とはいえカタツムリは面白みもないので、すぐに放したのであるが。その穴場にはアマガエルも山ほどいた。
今もアマガエルの穴場のようなところはあるのだろうか。世界的にはカエルは絶滅していっているという記事を読んだ記憶がある。
雨の中、二代目小次郎を散歩させていたら、散歩道にタニシがいた。水路の水かさが増えた時に水路から流されたのか、はたまた水があるから自分で出てきたのか。
貝の種類は違うが、漢文の漁夫の利をなんとなく思い出した。水路に返してやろうかと思ったが、生物である以上、その行動にも何か理由があるかもしれないと考えなおして、そのままにしておいた。
ザリガニは散歩道で多数死体となって散乱していた。おそらくこれは水路から出てきた時にカラスにでも食べられたのであろう。
生物を見ていると人の目からするとのどかそうであるが、彼らの行動も一つ一つ意味があり、自然との闘いの中で、生きるために必死なのであろう。
これを書いている時点で雨が続いている。人の営みも自然の前では時に無力であり、雨による災害が続いている。
中国の考え方では、災害が多発するのは為政者に徳がないためとされる。徳といえば聞こえはよいが、私の解釈からすると悪政をしているということであろう。
後漢末期には災害や異常気象などが多発し、漢の命運は既に尽きたとして、「蒼天既に死す」として黄巾の乱が起こった。
今の為政者に徳はあるだろうか。
私にできることは、水害や土砂災害に遭われた地域の復旧を祈ることくらいであり、復旧作業をされている方々に対しては畏敬の念を抱くほかない。
私は弁護士なので、弁護士にできることをやるしかないのである。