在りし日の小次郎
私は司法修習の時代を通じて出会った修習先の指導担当の先生と、その周りにおられた先生方、そして勤務弁護士として働いていた時代のボス弁やその知人の弁護士の薫陶を受けて自分の中の弁護士としてのあり方が定まってきたので、自分は伝統工芸の手作りで一つ一つ手作業で仕事をする職人であると思っている。
一つ一つの事件は個別で、依頼者もまた個別であるので、一つ一つの事件について丹念に事案を検討し、解決の方向を模索すべしと考えている。依頼者のための最大限の利益を追求しつつ、依頼者の言うとおりにした場合、依頼者にとってどうしようもない結果が出てしまうような場合には、依頼者を説得し、依頼者の将来のことも考えるべきであると思っている。戦うだけ戦って、後には何も残らなかったというような事件の進め方はやりたくはない。
このようなやり方は、受任できる事件数にも限界があるし、事務所全体として同じ方向を向くためには、弁護士は少人数で事務所をやっていくほかないと思っていて、私はそれでよいと思っている。もちろん、利益を追及して受任している訳ではない。
私の知人の大半はこうした弁護士である。
事務所を経営している弁護士としては、経営の方にシフトして、自分では事件を担当しない人も見聞するが、私自身、弁護士としてはまだまだ成長の余地があると思っているので(そう思いたい)、これは実際に事件の担当をしていかないといないとさび付いてしまうし、成長もないと思うので、事務所の弁護士の主任事件も見ながら、自分単独でも事件を担当している。
裁判所でいうと部長のようなものであろうか。
大量に事件を受けて、大量に事案の対応をする事務所が増えてきたが、一つ一つの事件にかけられる手間はどうしても疎かになると思うので、依頼者その人であったり、事件に向き合う姿勢が職人気質の弁護士と比較すると、どうしても雑になってしまうように思われる。
破産事件一つであっても、離婚事件一つであっても、依頼者その人にとっては唯一無二の事件であるから、これからも職人かつ現場の人でありたいと思っている。
それでも、依頼者が誤解をしていたり、内容について理解をしていなかったりしてトラブルになることもないではない。依頼者に感謝をしてもらえればこれに過ぎるものではないが、感謝してもらえなくとも、弁護士側で問題なく依頼者のためにできる限りの仕事をしていることを挟持としてそうした依頼者に対しても気持ちがめげないような人でありたい。
まだまだ能力不足を感じることも多いので、これからも成長できるよう、現場の人でありたい。
なお、何回か書いているが、私が「こうありたい」と思っていることを書いているところがあるので、私自身が「できている」ということで書いている訳ではないことは付け加えておく。まだまだ未熟者である。