宮本武蔵その3

中隆志

中隆志

 武蔵の剣歴は以下のとおりである。

1、13歳にして有馬喜兵衛という新当流り廻国修行者を打ち倒す。
2、16歳のときに但馬国の秋山という強豪の兵法者を打ち倒す。
3、以降、29歳の時までに60数回の勝負を行い、全て勝利した。

 60数回という勝負は他の剣豪と比較しても多い。
 史料や伝承によると、その詳細は以下のとおり。

4、21歳のときに、京都の吉岡清十郎と蓮台野で戦い、勝利。弟の吉岡伝七郎と三十三間堂で戦い、勝利。
  一乗寺下がり松で、吉岡一門と戦い、勝利。
  これには異説があり、吉岡直綱という吉岡一門の当主と京都所司代の屋敷で戦い、武蔵が大出血したため試合は途中で終わりとなったため、直綱の勝ちという説と、直綱も打たれていたため、引き分けとされたという史料もある。弟の吉岡直重にも武蔵が試合を申し込んだが、試合の場に武蔵が現れなかったため、武蔵の不戦敗という史料もある。ただ、直綱が清十郎と同一人物であるのか、直重が伝七郎と同一人物であるかは不明である。バガボンドでは、武蔵が吉岡一門に挑んだ時、清十郎に重傷を負わされ、伝七郎とは互角に戦い再戦して倒すことになるが、そういうように話を変えたのは、このあたりにヒントがあるのかもしれない。

5、奈良の宝蔵院の槍(相手をしたのは奥蔵院という高弟。)と二度戦い、二度とも勝利し、その後夜を徹して語り合う。
6、伊賀の鎖鎌の使い手である宍戸某と戦い、これを破る。
7、江戸で柳生新影流の剣士2名と戦い、これを破る。
8、杖術の夢想権之助と戦い、これを破る。
9、巌流島にて、佐々木小次郎を破る。
10、大阪の陣に水野勝成の軍で参戦(大阪城に籠城したとする小説もあるが、最近の史料では、徳川方であることが確認されている)。
11、三宅軍兵衛と戦い、これを破る。
12、名古屋にて、徳川義直の家臣で柳生新影流の剣士を破る。
  おそらく、このときに柳生兵庫と出会い、お互い名乗る前に相手の力量から、武蔵と柳生兵庫であると見知ったという逸話があったものと思われる。
13、島原の乱に出陣。城攻めの際に石が当たり、怪我を負ったとされる。
14、57歳の時に、細川家に客分として迎え入れられる。
  このときに細川家の家臣の柳生新影流剣士を何人も破ったとされ、家臣はみな武蔵の円明流に入門したとされる。
15、このほか、ここに書けなかった戦いや伝承もあり、有名なものだけをあげた。

 これだけの勝利数を見ても、武蔵が歴史上最強の剣士であったことが分かる。
 もっともコンパクトに武蔵の生涯を読みたい人は、光文社文庫の戸部新十郎の日本剣豪譚、戦国編を読まれたい。他の剣豪の逸話も秀逸である。江戸編もあります。
 書き出した時はもっといろいろ書きたかったのだが、疲れたので、ここで終了とさせていただきます。

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