読書日記「百年の孤独」
大学入試に向けて、国語の読解問題の問題集を解いていると、その問題集を作った人の主観に過ぎないのではないか、という気が常にしていた。
合格するために求められている答えを導き出すようにはしたのだが、現代国語にせよ、古文にせよ漢文にせよ、ほかの解釈や捉え方があってよいのではないか、と常に思っていた。
宇治拾遺物語の中で、秦兼久通という人物が自分の作品が和歌集に入るかと思い、選者である治部卿通俊卿のところに行き、「去年(こぞ)見しに色もかはらず咲きにけり花こそものは思はざりけれ」という和歌を詠んだところ、それを聞いた治部卿通俊卿が「よろしく詠みたり。ただし、けれ、けり、けるなどいふ事は、いとしもなきことばなり。それはさることにて、花こそといふ文字こそ女(め)の童(わらは)などの名にしつべけれ」と批判するというものがあった。
治部は後拾遺和歌集を選んだ人物である。
そうしたところ、久通は、過去の有名な和歌である「春来てぞ人も問ひける山里は花こそ宿の主人なりけれ(藤原公任)」と同様の言い回しがあるとして帰り際に治部のような者が和歌集の撰者になるとは何事かと告げて帰っていったという話である。
これを聞いた治部は、「さりけり。さりけり。物ないいそ。」と言ったという話である。
この最後の部分は、問題集では、「そうだった。そうだった。人には言うなよ」と訳されていた。
治部がうっかりしていたということで話のオチとなっている訳である。
私はこれに対する回答としては、和歌の選者になるような治部が著名な歌を知らないはずはないので、違う意図があり、歌をけなしたように思えたのでそのように回答したのだが、問題集の解答としては間違いということになる。選者のところに、自分の和歌を入れるようにアピールするところが、「もののあはれ」を知らない行動であると見られたのではないかとも考えた。当時の高校の国語の先生にも質問をしに行ったことを覚えている(後に東大寺学園の校長になるような偉い先生だった。当時はわかっていなかったが。)。
国語の問題に対する回答というのは、様々な解釈があって然るべきで、それを評価してもよいように思うのだが、日本の入試ではそれが許されないので、受験というのは難しいものである。