在りし日の小次郎
小学生の頃、なぜか雀を捕まえようと考え、夏休みに毎日苦心していた。
玄関まで鳥の餌を外から続けて置いておいて、玄関内に入ったらドアを閉めて玄関内で網で捕まえるという作戦である。
ドアの横で待機してやったが、気配を感じると雀は玄関まで入ってこないので失敗。
引き戸であったので、棒でやろうとしたが、棒ではうまくドアが閉まらず失敗。
その後、どうやったか忘れたが、自動的にドアを閉まるような装置を作ってやったのだが、うまく作動せず、結局近所のおばさんが外からドアを閉めてくれて(毎日私が失敗すのを見ていたのであろう)、雀を玄関内に閉じ込めることに成功した。
追い詰められた雀は火事場の馬鹿力で玄関内を飛び回ったが、何とか網に入れて捕まえることができた。
しかし、雀を鳥かごに入れて見ていると、自分はなんでこんなことをしているのだろう、雀にかわいそうなことをしたという気持ちになり、5分くらいで逃がしてあげた。
やっている間は楽しかったのだが、結果が出てしまうと気持ちが冷めたということなのであろうか。旅行も予定を考えている時が実は一番楽しかったりするのと同じなのかもしれない。
なぜあのとき、雀を捕まえようという気持ちになっていたのかわからない。もちろんその頃は法律(鳥獣保護管理法)のことなど知らなかった。
小学生なので刑法上罰せられることはなかったであろうが、必死に生きている雀には驚かせて本当に悪いことをしたと庭で雀を見て思い出したのである(成功するまで、だいぶエサを食べたとは思うが)。
以上です。