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漢を建国した劉邦は、項羽に敗北して逃走する際、馬車に乗ろうとした子2名を馬車から蹴り落としたことがあった。夏候嬰という武将はこれに気づいて子を拾い上げ、劉邦は蹴り落とすことを3回繰り返したという。
儒教においては、子は親を生かすために、むしろ自ら馬車から降りないといけないとされるので、劉邦の行動は親としては当然ともされる。確か、司馬遼太郎の項羽と劉邦(新潮文庫)で司馬がそのように述べていたぼんやりした記憶がある。
子は枝葉であり、幹である親が生きている限り子は生まれるが(現代日本ではそうも言えないが)、親が死ねば子は生まれないからである。
保護責任者遺棄致死罪、あるいは子に対する傷害致死、子殺しの量刑が軽いのは、こうした江戸時代の儒教の影響が未だ残っている可能性があるのではないかとも思われる(元々尊属殺人の法定刑が重かったのも同様の流れであろうと思っている。違憲とされたが。)。
調べた訳ではないので、あくまで私の個人的考えであるが。
親族の間の殺人の場合、被害者参加がされる事件もあるだろうが、子殺しの場合、その子の無念さや親の理不尽さを、遺族として法廷で伝える役割をする者がいない場合も多いのではないか、と思われる。
配偶者の一方が他の配偶者が知らない間に殺めてしまったような場合は、犯人ではない配偶者が被害者参加する可能性はあり得るが、両方の親が子殺しに関わっているか、積極的に加担せずとも静止することもできなかった場合は、被害者参加することもないであろう。
孫がかわいかった祖父母の参加はあり得るかもしれないが、犯人は自分の子であるとすれば、これもあまり期待できないように思われる。
亡くなった子どもの声は、誰が裁判官に伝えられるかというと、検察官しかいないことになるが、裁判官に直接被害者からの被害感情の峻烈さが伝わらない、伝える術がないという事件では、それが量刑に響かないということもあり得るような思いでいる。
遺族がいないか、あるいは居たとしても前述のような理由で、被害者である子のために裁判官に伝える者がいない事件では、依頼者がいないことから、被害者支援をする弁護士としても義憤にかられることがあったとしても、できることがない。
また、女性に連れ子がいる場合では、女性の中には母であるよりも女であることを選択してしまい、男性側についてしまう場合もあるようにも思う。
離婚事件でも、時に母であるよりも女であることを選び、子を捨てて不倫相手の男性の下に走る事件を今まで幾たびか見てきた。
子どもは親が大好きである。どんなに虐待されても、親からの愛情に飢えている。
目黒で5歳の子どもが虐待され死亡した疑いで両親が逮捕されたが、心からこのお子さんの冥福を祈るとともに、わずか5年で死ななければならなかったその事実に心が痛み続けている。