読書日記「凱風館日乗」
私は弁護士になってから2度倒れているが(インフルエンザとか扁桃炎はともかくとして)、大病をするとその後は身体に気をつけるようになる。
最初に倒れたのは勤務弁護士の時で、少し動いても心臓がバクバクいうので、病院に行ったところ、「頻脈」の状態となっていて、実は過労死の一歩手前まで行っていたのである。
医者からは完全静養を勧められた。
1日休んで出勤したところ、これを聞いたY下N子弁護士からこっぴどく叱られて、「医者が静養というのは1週間は最低休まないとだめ。それで死んだら何にもならへんよ」と言われたのである。叱られて、確かその後3日は休んだ記憶である。
当時手持ち事件が200件を越え、事務所の中小ローンの事件だけで90件以上あり(全国展開していたので出張付き)、事務所の一般事件を50件ほどやり、自分の事件も60件ほどあった。当時は破産申立が多く、相談に行くと4~5件破産事件を受任して帰ってくるという状態で、破産の申立未了事件がある程度たまっていたのである。
私は自分でいうのも何だが、仕事が遅い方ではないのであるが、当時は毎日11時くらいまで事務所で仕事をするか、事務所は8時くらいに出ても自宅に帰ってから10時くらいから12時くらいまでずっと起案をしているという毎日で土日も出ていた。
その合間に地方出張もあり、正直目が回るほどの忙しさであった。
その時は元気なつもりであったのだが、どうやら気持ちが張り詰めていただけのようで、一気に体調が悪化したというものであった。
事務所に対する売上の貢献も年間1億5000万円くらいは1人であげていた。
しかし、その時は給与もあげてもらえず、そのあたりの他の事務所の勤務弁護士(事務所の事件30件程度)と変わらない給与しかもらっていなかった。
お金だけで測れるものではないが、今にして思えばものすごい薄給でとんでもない仕事量をしていたのである。
今は経営弁護士となったが、あんな勤務弁護士がいたら、それは経営弁護士はラクであったろうと今にして思うのである(自画自賛ですいません。)。
経営弁護士には概要を報告するだけで着手金をもらい事件を解決し、報酬ももらい事務所に入れてくれ、時には事件をした依頼者から顧問の話も持ってくるのであるから、いうことなかったであろう。
話が逸れたが、まあこんな仕事のやり方をしていると、いくら若いとはいえ身体を壊すのである。渉外事務所の弁護士とは異なり、ややこしい相手方から怒鳴り込みの電話にも対応しないといけないし、暴力団が占拠している不動産の占有移転禁止の仮処分に行ったりなどしているので、普通の弁護士の仕事量でこれだけやるとさすがに倒れるのである。
若い弁護士が点滴を打ちながら仕事をしたという話を聞くと、若いから無理が利くのだなあという思いがある一方で、最悪間に合わない場合は裁判所に「もう一期日ください」といえるくらいのところもないと、時には身体を壊すと思っている。
当時はストレスも今の比ではなかったので、酒も水を飲むように飲んでいて、これもまた身体に悪かったであろう。
何事もほどほどにしておかないといけないということである。
今はあれから16、7年が経ったので、そんな仕事量をすることもできないので、若い先生方に手伝ってもらいながら、細々と事務所を経営しているのである。
つづく。