読書日記「凱風館日乗」
飲めない身体に生まれていた方がよかったと思う時もあれば(二日酔いで)、もう二度と飲まないと誓う日もあるのだが(二日酔いで)、結局のところ酒を飲んでしまう私なのである。
ありていにいうと、酒無くして何が人生だと思っている。これは、亡くなった中村利雄弁護士も同様であった。
身内で酒が飲めるのは私だけであり、唯一の例外が父親の父親(祖父)であったので、私はどうやら祖父に唯一似ているようである。父親もほとんど飲めず、父親の弟も一滴も飲めず、母方も誰も飲めない。私だけ突然変異のようである。
祖父は酒の飲み過ぎで早く死んだので、気をつけるように父から言われている。
しかし、祖父の飲み方は業務用の焼酎のボトルで飲んでいたというもので(リカーマウンテンなどに行くと売っているベコベコのペットボトルに入っているやつで、あれを買うのは本当の酒飲みである)、私は宴会などで飲み過ぎる以外は一応節度はもって飲んでいる。
田中角栄は亡くなる少し前はジュースのようにオールドパーを飲んでいたというような記述をどこかで読んだのであるが、そういう飲み方をするときっと危ないであろう。
ワインはあまり好きではなく、ワインについてプロ相手にワインを語るような人も嫌いである(本当に詳しければ別だけど)。昔は日本酒が好きであったが、翌日残るのと、太るので最近は専ら焼酎とウイスキーである。
ウイスキーの銘柄は少しは分かるが、あんまり詳しくなると安西水丸さんが昔何かの雑誌で書いていたように、ボウリングに凝って自分のボールを持ち運ぶ人みたいで凝りすぎるのも粋ではないと思っている。
バーで珍しいウイスキーを出してもらって「へええ」と間抜けな顔をして飲んでいるくらいがちょうどいいのではなかろうか(私はその程度である)。
カクテルはギムレットのみである。これは言わずとしれた、フィリップ・マーロウが小説の中で飲んでいたカクテルであり、これ以外は飲まない。
弁護士の仕事は天職ではあると思っているが、ノーストレスという訳にもいかないので、いい酒を飲んで明日への活力に備えたいものである。ただし、飲み過ぎずに。