読書日記「百年の孤独」
弁護士がたまにやる失敗として、表題のようなものがあると思っている。
弁護士に限らず、自信というものは、成功体験を繰り返してつちかわれるものだと思うが(サッカーだと、練習でシュートを決めてきたから実践でも決められるはずということで迷いなくシュートが打てるとか、弁護士の場合、依頼者から丁寧に事情を聞き取り、文献調査、判決例調査をして、丁寧に記録を読んで相手方の主張の矛盾をつくなどして勝訴したり勝訴的和解を繰り返すなど)、過度に過去の成功体験にすがりつくと、今の事案が実はその事案とは異なっているのに、過去の事例に無理矢理にあてはめてしまい、ずれているところの事情や証拠を見ないようにして、過去の事例の類型と同様だとしてしまい、そして敗訴してしまうということがありうる。
事件は一つ一つ顔があり、個別であるから、過去の成功事例と異なっていたら、やはりそれは違うものとしてイチから考えないといけないのである。
思い込みで事件を進めている弁護士がいるが、得てしてそういう体験をしたか、何かで読んだかなのであろうと思われる。
この事件はこういう事件なんですというまとめをされる相手方代理人がいて、それを決めつけて連絡してくるが、「それはそちらの主張でしょ」と言っても、「いや、事実です」などと言ったりしている(証拠も見ていないことが多く、この手の事件は多くはこちらが勝訴する)。
検討に検討を重ねて過去の事例の経験が生きるならそれでよいが、検討もせずに進めていかないように注意が必要であろうと思うのである。