読書日記「百年の孤独」
朽木渓流魚センターの釣るところは直系1.5メートルから2メートルくらいのポンドで、水が流れ出て岩が沈めてあるのである。私の釣り歴からすれば、子どもの遊びである。
まあ、バカバカ釣って帰ろうと思っていた。
イワナを放流してもらって釣り始めるが、開始して30分ほど誰も釣れない。周りでも釣れている人はいない。
子ども連れは水を抜いて池でつかみ取りを始める始末である(我々大人のコースにはつかみ取りはない)。
これは、朽木まで来て、恥を忍んで管理釣り場に来たのに、エライ展開になってきた・・と焦っていると私に一匹目が来た。
私が立て続けに5匹ほど釣り上げる。
流し方のコツも掴んできたためであろう。
しかし、吉田誠司と同行しているもう1人の人物、H尾弁護士(彼の名誉のため仮名にしておく)は全く釣れていない。
釣り人の心理として、いい大人でも隣でバカバカ釣れて自分が釣れないと何ともいえない気持ちになるのである。これが逆であれば私もそうであったろう。
むうう。これはヤバイ。いくら私でも、このまま無邪気に釣ることはできない。私の親父であればきっと無邪気に横で「ほら、また来た。なんや。そっちはあかんなあ」と無邪気発言をするであろうが、そんな性格にはできていない。
仕方がないので、葉巻を吸ったり、トイレにいったり、飲み物を飲んだりして時間を潰していると、吉田誠司弁護士にも1匹釣れ、かなりかかってH尾にも釣れた。
その後私は相変わらずそこそこ釣れて(15匹くらい放流してもらって12匹)、吉田誠司弁護士は8匹くらい、H尾は4匹であった。
いくら管理釣り場とはいえ、渓流釣りの経験値の差ということであろうか(自慢)。
さすがにイワナを12匹も持ち帰っても仕方がないので、H尾にお裾分けして、帰京したのであった。
食事も取らず意地になって釣り続けた私と吉田誠司は(H尾は予定があるということで帰った)、京都市内に入ってから15時過ぎに2人でカレーを食べてその日の釣りは終了ということになったのであった。
しかし、その後金曜日に飲み屋で吉田誠司弁護士に会うと、「土日家族がみんな出かけるからヒマやねん。釣り行きたいなあ。。。」という話が出てきたのである。
つづく。