寒波到来
講演をするときも聞くときもあるが、聞く気にならない講演がある。
それは、詳細なレジュメを用意しており、それをただ読んでいるだけの講演の時である。
こういう時は、時間の無駄だと考えてレジュメを後で読めばよいと思って、席を立つことが多い。
一方、レジュメは用意されているのだが、レジュメはレジュメとして、時にはレジュメから膨らみ、時にはレジュメから離れて違う話をしたり、裏話をしてくれたり、あるいは講演者が話をしているだけではなく、会場に参加させるような講演であると飽きが来ないので、聞いていても苦にならない。
もちろん話力もあるし、中身にもよるので一概には言えないが、そのように感じている。
あとは、その日に何を話するのかを最初に簡単にポイントで説明されると、その日の講演が頭に入ってくることが多いように思われる。読書をするときに、目次を読んで全体の構成を見てから読むと頭に入りやすいといわれているのと同じであろう(文学作品などでは読まない方がいいかもしれないが)。
これは自分が聞くときにそう感じるので、講演をする際には、自分が聞いていた時に飽きが来なかったような内容で講演をしようとできるだけ心がけている。
しかし、何回やっても、講演というものは難しく、やる度に反省をするのだが、次にする頃には忘れていて、同じ失敗を繰り返したりしている。
講演で飯を食べている人は天性のものをもっているか、陰ですさまじい努力をしているのであろう。