在りし日の小次郎
突然飲み会が入ることがある。それは人を追悼するためであったり、仲のいい知人がどうしても聞いて欲しいというようなときである。
こういう時に、皆それぞれの理由、事情があるが、顔を出せる人間でありたいと思っているし、私の周りにはそういう人が多い。
ありがたいことである。
1年のうち、「この日」顔を出さなかったということで、人からの信用をなくすことがある。
彼女が待っているとか、家族が待っているとか、多少体調が悪いなど顔を出さない理由は様々かもしれない。
しかし、彼女と会うのは明日でもできるだろうし、家族もそうである。インフルエンザでもない限り、多少の体調の悪いくらいであればそれを押して出る。私はやり過ぎだったと思うが、39度熱があったのに15年ぶりに会う高校の同級生との飲み会に出たことがある。
義理を欠くといつか自分に返ってくると思う。
ただ、いつか自分に返ってくるというような気持ちではなく、真に相手のことを思って顔を出すという気持ちを持つ人間になるべきである。
原健弁護士が死んだ後、一週間飲み続けたが、誰かしらが顔を出してくれた。ここに来たら私がいるのではないか、と思ってきたということであった。
中村利雄弁護士が死んだ時にも、飲み続けたが、同じようにみんな事情はあったと思うが同僚が顔を出してくれた。
そんな時に連絡をしても顔を出さなかった同僚もいるが、「ここ一番」というものが分かっていないのである。
私が追悼の気持ちで飲んでいると聞いて、続々と集まってきたのである。