読書日記「百年の孤独」
亡くなった中村利雄弁護士は事件の見立てを誤ったことがなかったそうであるが、私も見立てを外すことはあまりない。
もちろん微妙な事案はあるから、必ずこうなるということはいえないが、敗訴するにせよ、勝訴するにせよ、和解になるにせよ、「まあ大体この範囲になるだろう」ということで間違えることはないし、ある程度経験を積んだ通常の弁護士であればまあそうであろう。
ただ、この見立てが外れる時がいくつかある。
例を挙げると、
1、依頼者が完全にウソをついている時。
2、相手方代理人弁護士がおかしいとき。解決できるものも解決できなくなる。
3、裁判官がおかしい人の時。
などが考えられる。
このうち、もっともやっかいなのは実は3である。
1については、聞き取りをしている中でおかしな点は指摘して弁護士としても予防線を張れるので、実は予想の範囲内であったりする。
2についても、和解相当な事案でも、判決をもらえば済むことなので、まあ予想の範囲内であったりもする。
3については、普通の裁判官であれば、当該事件の筋というか落ち着き処からして、そんな結論は書かないだろうという事件で、予期に反した結論の判決を書かれると、高裁でひっくり返るという保証もないし、それが一応一審判決となって形に残るということになるので、記録をよく読んでくれていない高裁の裁判官(残念ながらいるのが現実である)などだと、一審ありきで和解勧奨をしてきたりするからである。
間違った判決を書かれてしまう場合、担当弁護士としてはいつもの主張立証をしているので、どうしようもないのである(普段はそれで勝つのだから)。
裁判官も再任拒否がされるようであるが、よほどひどい人でない限り再任はされるのではないかと思っており(私の個人的感想)、能力にはけっこう差があるのが実情であると思っているのである。
以上。