寒波到来
先日読んだ真田信繁という本で真田丸の形状や位置について整理がされていた。
私が卒業した高校は大阪府立高津高等学校というのだが、その裏に真田山公園というのがあった。
真田丸の近くに高校があったことになり、高校の敷地でも激戦が繰り広げられたことであろう。
高校の時は歴史の本などはあまり読んでおらず、横溝正史とか、海外のミステリーばかり読んでいたので、当時はそんなことは思いもせず、何も考えずに過ごしていた。
当時今のように真田ファンになっていたら、あのあたりを散策して、思いを馳せることができたであろうと思うと非常に残念である。
私の自宅は当時大阪城の東側にあり、自転車で行くことのできる距離であったが、大阪城の堀でも釣りをするだけで、歴史に思いを馳せることはなかった。
今になってみると、再度大阪城(もちろん秀吉が築いた城は焼失しており、今の城も再建築されたものであるが)あたりや、真田丸があったであろうところ、すなわち出身高校の近くを散策したいと思うが、中々時間が取れない。
京都を歩いていると、あちこちに史跡があり、明治維新前夜に幕末の志士たちが歩いていたであろうところを歩いているのだと思って歴史の流れに思いを馳せるが、出身地の史跡を全く歩いていなかった(歩いていたが、全くわかっていなかった)のがもったいなかったと思う今日この頃である。
仕事があるのはありがたいことであるが、一度時間を取って、大阪城や真田山を歩いてみたいと思う今日この頃である。