在りし日の小次郎
絵画や彫刻を見ていると、なぜ人はこういう創作活動をするのだろうという疑問がある。
東山動物園のところに天を衝くように手を広げた金色の像があり、飲んだ帰りなどにタクシーで見ているが、あの作者はなぜこういうものを作ったのだろうと思っている。
日々の満ち足りなさや人生における何かがそこに込められているのだろうとは思う。
私も小説を書きたい思いがあるし(法律の初心者向けに書いたものはあるが)、小説を読むのも好きであるが、小説を読んでいると作者というものは自分の魂を削りながら書いているように思えてくる。
自分というものの魂というものを削り、それを公開して世の中に何かを問うているように思われ、芸術作品もそういうもののように思っている。
もちろん、取るに足りない小説もあまたあるから、そういう作品はまた別の話であるが。
芸術で千年が過ぎても残っていく作品は、その作品の中にそうしたものが込められているのであろう。
逆に、そうしたものがない作品は、人の心を打たないと思うのである。