読書日記「百年の孤独」
相手方に弁護士がついて、訴訟外で和解の交渉をすることがあるが、こういう場合、第三者による整理がなされないので、話が平行線となることがある。
私の方では一応当方なりの理解で中身を整理して、相手方の主張のおかしいところを指摘する。仮にこちらが1000万円請求していて、相手が0円で支払う必要がないと言われれば、「じゃあ中を取って500万円にしましょうか」というような単純なものでもないので、和解をするためにも、事実の指摘や法的な主張は必要である。
これに対して、相手方弁護士の方は、それは認めないとか、それは正しいのだが依頼者が説得出来ない、という回答がされることもあり、そういう場合は和解は出来ないので、では訴訟をしましょうということになる。
しかし、自分のところは0円回答であるのに、「いや、和解してください」という回答をする相手方もいたりするので、「それならそれで0円ではなく反対提案してくださいよ。こちらは1000万円で、そちらがゼロだと、和解しようにも出来ないではないですか」ということにしかならない。
「いや、反対提案も出来ないのですが、和解はしたいんです」という回答がされることもあり、なにやらここまで行くと禅問答である。
ましてや、私は訴訟でもいいと言っているのに、相手方がどうしても和解がしたいという場面で、話合いのために相手方の住所地での話合いを求めてくる(たとえば、相手方が大阪の弁護士である場合に、大阪の裁判外紛争手続を利用したいというような場合)などもはや何を考えているか、何を言っているのか分からない。
これに対して、管轄は京都であるから、私が大阪まで行かないといけませんか、と聞くと、「話合いがしたいので」という回答だったりする。
何か禅問答をされられたような気がするのは私だけではあるまい。
合格者が増えた結果、トレーニング不足や、そもそも能力的に司法試験に合格してはいけない人があまたいるというのはあちこちで聞くが、以上の話は能力とか何とかいうよりは、もはや常識のレベルではなかろうかと思うのである。