寒波到来
昨年のことだが、袴田さんが釈放された。えん罪は罪を犯してもいない人を長期間に渡り身柄拘束し、死刑が言い渡された場合であれば死の恐怖と隣り合って刑務所の中で過ごすため、精神が崩壊する場合もあるということもあり、当然のことながら、絶対にあってはならないことである。
私のように被害者支援をしている人間からすると、えん罪は、犯罪被害者という側面から見た場合、捜査機関の杜撰な捜査により、真犯人を捕まえる機会を失わせてしまうという側面がある。
そういう意味で、えん罪によって長期間身柄拘束された人の人生ばかりでなく、犯罪被害者及びその遺族の人生も取り返しのつかないこととなってしまう。
真犯人が見つかっても、「時効」の壁が立ちはだかる場合があるからである。
また、捜査機関は今更真犯人を捜すこともしないだろうし、時間の壁がたちはだかり、真犯人を捜査することも不可能となってしまうだろう。
少し前に読んだ足利事件のことが一部書かれている「殺人犯はそこにいる」(新潮社、清水潔著)という本は、被害者に焦点があてられているというところが素晴らしいと思う。通常は、えん罪によって長期間身柄拘束された人にスポットが当てられるからである(もちろん、そのことは非常に重要であることは論を待たないが)。
誤判は犯罪被害者が真犯人に対して被害者としての声を上げる機会も失わしめてしまう。もちろん、被害者がいない事件もあるにはあるが、多くのえん罪を産んだ事件は被害者がいる事件である。
捜査機関は、誤判がなされた場合には、私的報復が許されない以上、被害者の権利も永久に奪いかねないかも知れないということを肝に銘じて欲しい。