在りし日の小次郎
人は何をしたいという性(さが)を持っているということを書いたが、これは宗教という場面でも同じようである。
教えがシンプルであって、「他に何かしないといけないのでは」「いや、これだけでいい」ということになると、教えが広まらないという性質を有するようである。
それぞれの宗教がそれぞれの儀式や決まりを持っていたり、宗教に対して義務を課しているのは、「何か」をしていないと気が済まない人間の性に則したものであるということが出来ると思っている。
決まり事があまりにもない宗教は、流行らないというと失礼だが、信仰されにくいのである。この決まり事を守っていれば大丈夫という安心感もそこにあるのであろう。
私なども常に何かしていないと気が済まない方で、テレビを見ながら酒を飲んで読書もしながらゲームもしているという時もある。ゲームがソフトを読み込んでいる間、本を読んで、テレビのニュースで気になったことがあると見るというような具合である。
私は無宗教で全く信心深くもないのだが。