在りし日の小次郎
注、これは平成24年に書いた記事です。
3月末に記録の整理をした。いつもは1月頭にしているのだが、本年は1月から予定が詰まっていたため、3月末に整理をしたのである。
終了記録はどんどんとたまっていく。終了記録を整理しないと、事務所の記録を置くスペースがなくなる。別に倉庫スペースもあるのだが、7~8年経過して終了している事件の記録を見なければならないこともないし、法的には終了後3年で保存義務は免れるので、だいたい6年を目処に必要な部分を除いて廃棄する。廃棄は専門業者で、シュレッダーにかけて確かにかけたという証明をもらうのである。
この整理だが、私自らやらないといけないのである。事務員では記録のどこを残せばよいかという判断が出来ない。せこせこと整理をしていると、すっかり忘れている事件、やや覚えている事件、よく覚えている事件等々が出てくる。
解決した事件の和解書や判決、和解調書を見ていると、自分でも忘れているのだが、「よくこんな解決が出来たなあ」というものもある。自画自賛のようだが、本人はすっかり忘れていて、自分のしたことなのに「すごい」と思っていたりする。すっかり中身を忘れているからこそこんな印象を持つのであろう。
若かったから出来たという訳でもないだろうし、今でも同等のパフォーマンスは出せるはずだが、若い頃に比べると、経験値は増えたがエネルギーは確実に減っているので、私よりも若い力で補ってもらいたいと思うのである。