在りし日の小次郎
電車の中で、鏡面のようになっている扉のところの金属に映った自分の頭を見ると、江頭2:50みたいな頭に見えてドキッとしたが、柱が屈曲していてそのように見えていたのだった。
窓ガラスで見ると、だいぶ薄くなってはいるが、そこまではいっていなかった。
しかし、鏡に写っている姿を自分自身と考えていても、その鏡が異なった姿を映し出していれば、他者が認識している姿とは真実の姿は違っている訳である。
また、他者の目で見ている認識と、自身の認識は異なっているかもしれないし、それぞれの人の見え方というのは、微妙に違っているかもしれない。
見え方とは異なり、記憶も変容されることもあるかもしれない。
そんなことを考えた。