読書日記「百年の孤独」
司馬遼太郎は、自己愛というものは臭気を発するものであると規定し、好きになれないということを繰り返しエッセイで書いているが、そのとおりであろう。
自分のことばかり話をする人がいるが、これは聞いている方はたまらないであろう。自分のことも話をし、相手の話も聞くというのが大事であろう。
先日、バーで飲んでいると、「俺はサ・・・」と、「俺」がいかにどうであるかを語り続ける男性が居た。真横であったので、うるさく、うざかった。しかも花粉症のせいか、鼻が詰まっていて、余計にうざいのである。
なんとなくすぐに席を立つのもはばかられて、少しその隣で飲んでいたが、その男の自分語りは、延々と続いた。しかし、連れの女性もまた、「私はサ・・・」で私のことを話しをする女性だった。
これだけ、自分のことばかり話をしている人たちなので、さぞ男性が支払うのかと思っていたら、割り勘だった。しかも終電を気にして飲みを切り上げたようである。
あれだけ、自分語りをするのだから、終電は気にしないで欲しかった。
関西人は、自分をおとしめて笑いを取るということが常態であるので、自分語りをしてもあまり臭気は発しないように思うのだが、関東の人はあまり自分をおとしめて笑いを取るということはしないように思う。
まあどうでもいいが、バーでうざいヤツにならないようにしよう。