読書日記「百年の孤独」
維新で成功した薩長の維新志士よりも、気分的には新撰組の方が好きである。
滅びの美学というのがあるからである。
あのまま、徳川と薩長がまともに戦っていたら、内戦は混乱の極みとなり、列強諸国につけいられ、日本は諸外国の植民地となり分割されていたであろうというのは、今日の見方の一つであり、その観点から、最後の将軍である徳川慶喜の政治感覚は優れているという観点からの読み物も少なくない。
話が横道に逸れたが、新撰組の一番隊長であったのが、沖田総司である。
生き残った新撰組の隊員の供述からは、新撰組最強の剣士はやはり沖田総司のようである。
美男子で、小柄に描かれることもあるが、実際の沖田総司は大柄で、男前ではなかったらしい。
沖田総司の得意としていたのは、三段突きであったというが、突きの時にかけるかけ声を3回言っても、それが一つに聞こえた、とされている。
それほど早い突きだったのである。
司馬遼太郎は、「新撰組は、世界史上でも最強の警察である」としていて、「維新志士が肩で風を切って京都の町を偉そうに歩いていても、向こうの方から新撰組の隊士が来ると、慌てて横道に逃げ隠れた」というほどその武力はすごいものがあった。
腕に覚えがあるその中で最強と目されているのであるから、日本剣士の歴史で、最強の剣士の一人としてもかまわないだろう。
新撰組の名を轟かせたいわゆる池田屋事件でも、沖田は臨場し、活躍している(途中で吐血したとの説もある)。
沖田が健康を害せず、東北から函館へ至る戦争で土方の横にいれば、また違った歴史があったであろうが、沖田は結核に罹病しており、近藤勇が刑死したことも知らず、江戸でその短い生涯を終えた。
沖田が死に臨んで、黒猫を嫌い、黒猫を斬ろうとしたが果たせず、「猫が斬れない」と言って死んだともされているが、私はそうした事実はあったのではなかろうかと思っている。
黒猫が、自身に死を運ぶ、不吉なものとして見えたのではないだろうか。